6/03/2015






右側うそく写真機しゃしんき
)
           作詞(さくし) 井上麻樹子(いのうえまきこ)
           ()



(だれ)()てゐない
(だれ)()いてない
(だれ)にも(はな)したりはしない
画像(がぞう)写真店(フォトショップ)再生(リメイク)
永遠(とは)足跡(あしあと)(のこ)しませう
なんて理想的(りさうてき)魅惑(みわく)時代(じだい)
記憶(きおく)改竄(かいざん)(とき)修正(しうせい)()ぶのです
蜘蛛(くも)()()らすやうに
過去(かこ)から(とほ)ざかつて()くのです


(だれ)()つけない
(だれ)(さが)さない
(だれ)にも(たから)(わた)さない
秘密(ひみつ)はパンドラの(はこ)(なか)
永遠(とは)封印命令(ふういんめいれい)(くだ)しませう
なんて理想的(りさうてき)豪奢(ごうしや)時代(じだい)
記憶(きおく)改竄(かいざん)(とき)修正(しうせい)()ぶのです
蜘蛛(くも)()()らすやうに
過去(かこ)から(とほ)ざかつて()くのです


(だれ)()にしない
(だれ)()きちやゐない
だから
だから(←この箇所でわざとらしく半音階上に移調)
(だれ)にも(かな)しい(おも)ひをさせない
積極的平和(せつきよくてきへいわ)(うた)へば平和(へいわ)(めぐ)
永遠(とは)翼賛(よくさん)(いの)りませう
なんて理想的(りさうてき)安寧(あんねい)時代(じだい)
記憶(きおく)改竄(かいざん)(とき)修正(しうせい)()ぶのです
蜘蛛(くも)()()らすやうに
過去(かこ)から(とほ)ざかつて()くのです

記憶(きおく)捏造(ねつぞう)(とき)修正(しうせい)()ぶのです
蜘蛛(くも)()()らすやうに
現在(いま)から(とほ)ざかつて()くのです

























眠る夢
                       作詞 井上麻樹子
                          


潜れ潜れと拍手を浴びて
火の輪を潜ろうとするのは
飼い慣らされたライオンさ
息を飲む客は動かない
団長の鞭の音は空気をも切り裂く
尻尾の先が少し焦げている
今宵 長いお髭を捻っては
ライオンはカンバスに向かう夢をみる


回れ回れボールを回せ
よろけて大玉に乗ろうとするのは
群れから逸れた象さ
死なない程度の食事を与えては
団長の鞭の音が床を震わせる
爪が真っ二つに割れている
今宵 三日月に重い鎖を引っ掛けて
像はサンバを踊る夢をみる


笑え笑えと身振りや手振り
躓き転ぼうとするのは
もの言えぬ道化さ
派手な衣装は体の一部
団長の怒鳴り声で白い顔は青ざめ
宿根草に涙を落とす
今宵 解れたテントの隙間から
道化は湖畔で眠る夢をみる

今宵 解れたテントの隙間から

道化は湖畔で眠る夢をみる







読者のみなさんへ

お読みいただき、ありがとうございます。
今年の2月に某講座に参加した際、歌(J-POP)の作詞の課題が出題されました。詩は時々推敲していますが、作詞は初心者。このような詞にどのようなメロディーが乗せられるのかは皆無。ノパソに保存していましたが、公開しました。









我慢


石は押されて押されていても
我慢するにもほどがある
小さな溝を見つけては
梃子でもそこを動かない
もしも気が変わったら
声をかけて
でもその時には
砂粒よりも小さくなって
シジミ貝の中に入って
あなたの最後の食事を
台無しにすることになるだろう

もしも気が変わったら
声をかけて
みんなが小さくなる前に





















5/17/2015

戦場



きっとそのうち
戦うんだろうな
爽やかな歌なんて口ずさみながら
銃かなんか構えるんだろうな
リズムに乗ったりして
前に進むんだろうな
花なんて軍靴の底で踏み潰して
火花なんかに髄液まで酔いしれたりして
そんな時は
大好きな大好きな
恋人の顔も忘れちゃうんだろうな
















5/14/2015

幻影



恐らくは
確実に
もしくは
確信的に
落ちてゆくのだろう
抗う術は
もう捨てて

微々たる責任を感じながら
同じ風景を眺める
花木は
本当は
いつもおしゃべりで
賑やかに付き合うと
空は
燃え出す時を迎え
風は
闇を運ぶ

夕陽をひとりで眺めることには
なにひとつ抵抗はないが
夏が
これほどまでに遠いとは











05142015

4/06/2015

草の茵に座るるは




里子に出された母は里親のもとで数年暮らした後、高校生となって詩を書き始めた。その詩はどれもこれも綺麗事を一切排除した、言わば私的な心情を剥き出しにし、読めば読むほど私という読者を陰鬱へと導いてくれた。実際、その詩の数々が書かれた小さい雑記帳は、50年以上書棚の隅に隠すように保管されてあったので、それまでその雑記帳に書き連ねた詩の読者は、筆者自身の母以外は誰一人も居なかったのである。
詩は母と私の祖父母にあたる里親との隔たりを、日常生活の風景を通して描かれていた。しかし、祖父母との生活が不満でいたたまれない気持ちになったのではなく、母は自分の置かれた境遇を通して、その境遇に至るまでの自分の運命をまるで呪っているかのような叫び声にして書いた。推考するに何か翻訳された海外の書物を読んで影響されたのであろう、表現が非常に大袈裟であり、悪く言うとやや芝居がかってさえいるように感じた。母はジャン・コクトーの詩を「あれの何がいいのかわからない」と言い放ったことがある。コクトーの詩を読んだことがあるから言えることで、且つ母にとっての目の上のコブであったに違いない。
が、娘の私から見ても母の生い立ちには同情すること然り。これは私と母との間にも隔たりがあり、どう転んでもその溝はこれからも埋めようにも埋められそうにないからであって、母を客観的な対象として捉えてしまわざるを得ないからである。
これから書こうとしていることは、私が小学生だった時分から数十年かけて、少しずつ少しずつ母と母の周囲の人々から引き出しては聞いた話だ。私の記憶が曖昧にならないうちに記しておこうと思ったのである。以前にも何処かで記したことがあったが、何処へ記したのかわからなくなってしまった。何処へ埋れてしまったか、或いは嫌気がさして既に捨ててしまったのかもしれない。


彼女は内科医で開業医の父と三味線の名取の母の間に生まれた第2子で、上に数歳離れた兄が居た。病気がちだった母に代わり、家にはお手伝いさんが居た。母は自宅で三味線を教え、数名の若いお嬢さんのお弟子さんも居たらしい。母が長火鉢の前で、煙管で煙草を吸って居た光景が、彼女にとって鮮明に蘇る唯一の母の記憶だという。その母は彼女が3歳の時に病気で亡くなった。が、彼女が母の病名や死因については語ったことはない。彼女の父は直ぐに後妻を娶った。お手伝いさんに幼い子どもたちや家庭を任せるには負担が大き過ぎたらしい。そして、彼女にとって4歳年下の妹が生まれた。家は裕福で、戦前のお正月には新調した着物を着て、お年玉として父から50円貰ったそうである。が、父の職業柄からだろう、家族で旅行へ出掛けたり、行楽に興じたという話はない。太平洋戦争が始まり、学童疎開で彼女は茨城の海沿いへと向かった。彼女の父は戦時中に東京下町の町医者として多忙が重なり、よく言われる「医者の不養生」で亡くなったらしい。立派な口髭を蓄えた精悍な人だったという。が、彼女から父が疾患していた病名や直接の死因について語られたことはない。敗戦の年の3月10日、東京大空襲により彼女の生家は全焼した。疎開先から帰京すると家が無くなったばかりか、彼女の育ての母と幼い妹の居場所さえもわからない。彼女は忽ちのうちに孤児になった。11歳の時のことである。その後、どのような経緯があったかは定かではないが、下落合に居る親戚に引き取られた。兄もやはり別の親戚宅に身を寄せ、中学を卒業すると田端にあった医療器具を製造する町工場に住み込みで就職し、メスやカンシを作る職人を目指した。
その後、彼女は親戚中をたらい回しにされ最後は行き場を失い、今で言う「児童養護施設」に入った。戦後暫く、両親を失った子どもが入る施設を「孤児院」と呼んだ。登録していた戸籍などの書類が空襲で焼失してしまい、再登録が必要となった際、これもどのような経緯があったかは定かではないが、彼女は妹の名前と年齢を用いた。そして後に、彼女は中学2年生として里親のもとで里子として暮らすようになる。里子になることを選んだ理由は「学校(高校)へ行きたかった」。当時、孤児院で暮らす子どもは義務教育を終えると支援が打ち切られ、自立を強いられた故、皆、進学せずに働いたという。ましてや中卒の女子ともなると、就くことができる仕事が限られていた。そして彼女は文学が好きだった。それ故、彼女は高校へ進学したかったのである。これは私の推測に過ぎないが、妹の名前と年齢を用いることにより、義務教育終了の時期が遅れる、遅れると社会に出る時期が遅れるから、ほんの僅かな時間だったとしても彼女は自分が流されてゆく運命に反抗したのではないのか。
子どもが居なかった地方出身者の里親は、まだ長閑さが多分に残っていたという東京の郊外にて借家住まいだったが、里子が来たと張り切って、それまで住んでいた借家の近所に小さい家を新築した。近所を選んだのは里親が住み慣れた土地だったということもあろうが、なにより彼女が転校しなくて済むようにといった配慮からだったという。そしてその一室を彼女の部屋とした。定年まで地方公務員だった里親の父は、知人から譲ってもらったいう何処かの書斎にでもありそうな重厚な佇まいの、広い天板が乗せられた机を彼女の部屋に運んだ。全体を布で装丁し、表紙や背表紙に印刷されたタイトルは金で箔押しされ、その上を丁寧にパラフィン紙で包んでは一冊ずつケースに収められた世界文学全集も揃えた。彼女にとって3人目の母となった里親の元看護婦の母は、洋裁を習得していたので彼女の為にせっせと服を作った。彼女に再び平穏が訪れた。中学を卒業すると、願いが叶って高校の普通科へと進学することができた。
進学とともに、中学で仲が良かった友人たちとは別の学校へ通う。と、友人たちとそれまでのような密な付き合いができなくなった。SNSやメールも無ければ、固定電話ですら一般家庭に普及していない時代である。彼女から高校時代のいわゆる「楽しかった思い出話」は「学校外」での出来事についてばかりだった。これも憶測に過ぎないが、思い描いていた高校生活と現実との間に、ズレが生じていたのかもしれない。とにかく彼女は詩のサークルに入る。そこに自分の居場所を見つけたのかどうかはわからないが、とにかく彼女は詩を書き始めた。サークルを牽引する師にも恵まれ、ざらついた質感の紙に活版印刷された同人誌も残した。
里親は言ったそうだ。「大学へ行きたければ行ってもよい」「籍を入れて養女にならないか」彼女はどちらも断った。大学へ進学すると里親の家計に負担がかかってしまう。籍を入れて養女となったとしても、いずれ嫁いでしまうから、と。しかし、どちらも彼女が望んでいた話だった。が、彼女は里親に遠慮した。当時、女は結婚して専業主婦になるのが一般的であったことと、里親の母が看護婦として病院にて従事しては苦労したことから、できれば娘には苦労のない平凡な道へ進んでほしいという親としての希望もあったらしい。しかし、自分の気持ちとは真逆の母の気持ちを優先したことが後年に仇となり、そしてそのどちらも離婚後の彼女の後悔に繋がった。
話を戻せば、彼女は里親に遠慮した頃、雑記帳に多くの詩を残した。その詩は、孤独と闘う幼女さながら。彼女は生い立ちによる過不足だった愛情を里親に過剰に求めていたように見受けられた。そして成長を拒んだのだと思う。子どもでいれば、いつまでも甘えたい時に親に甘えることができる。甘えを裏返して偽親子の家庭を忌み記したのだ。
高校を卒業すると、彼女は電気メーカーでOLとして働いた。もう詩は書かなくなった。僅かな食費を家に入れると、残りの給与は自由に使うことができた。相変わらずの活字中毒ではあったようだが、映画、特に洋画を好んでよく鑑賞していたらしい。オーダーで靴を作り、高価な服を買った。ボーイフレンドに誘われ、銀座のバーでカクテルを飲んだ。そのボーイフレンドからは求婚されたが、若い娘に強い酒を勧めて酔わせるような男はけしからんと、里親の父の反対により破談となった。
そして彼女は、里親のもとで暮らし始めてから結婚に至るまで、上げ膳据え膳が日常であったという。それは彼女自身が里親の母にそれを望み、里子の娘の生い立ちを不憫に思った母もそれに応えた。そして数年が過ぎ、ほとんどの家事をまともに出来ぬまま縁談が持ち上がり、嫁ぐ運びとなった。結婚相手は里親の父の従兄弟の長男。彼女の辛うじての得意料理は、焼き魚と菜のお浸し。また、結婚が決まったことを機に、妹の名前と年齢から実名と実年齢に戸籍を改めた。これについての経緯は、彼女だけではなく、身内である彼女の周囲も語らなかった。ただひとつわかっていることは、「そうしたほうがいいでしょう、ということになり、そのようにした」という経緯だけである。里親も結婚相手も彼女から打ち明けられた話に、さぞかし驚いたことであろう。だが皆は彼女を赦した。赦したからこそ結婚までに至ったのである。
結婚してから1年後、彼女は私を産んだ。里親の父母と彼女の夫の注目は、彼女と私とに分散された。純粋に彼女だけに注目が集まることは二度と無かった。
彼女は私が落胆するような出来事が起こると、決まって心から喜んでいるかような素振りを見せた。彼女にとっての敵は娘の私。彼女と私の軋轢は長い年月に渡った。彼女はどのような場合でも誰に対してでも「謝る」という行いは無かった。「謝る」という行為の代わりに、不条理な理屈を繰り広げた。同時に「感謝」も無かった。これは受け取ることが当然という彼女自身の前提に基づいたことであろう。

さて、私の母の生い立ちを時系列に沿って切り張りした中で、どのようしても埋まらぬ空白の数年間がある。疎開中から里子となるまでの期間である。数年間のできごとが「茨城へ行き帰京し親戚宅を転々とし施設に入った」。それとなく何度か尋ねてはみたが、この話については、それ以上母は絶対に口を開かなかった。史実は正確には誰も知り得ないのかもしれない。だが、この期間にもしも違う道を歩んでいれば、母はもう少しは満たされていたのかもしれないと思う。いつしか私は母に同情を覚えた。そして母も同情されることを望んだ。が、その望むことそのものに更に深い同情と、取り止めの無い悲愴感を帯びた怒りを覚えた。この怒りとは、同情はしたものの、母として毅然とした態度を保って欲しかった私は、母の同情を求める気持ちに素直に共感出来なかったことに依拠する。だが、私がいくら同情したとて、今更母の生い立ちを変えることは出来ない。私が出来ることといえば、インターネット上の片隅にブログを残すことぐらいでなのである。
読者は今のところ、筆者である私ひとり。いつの日か私の娘の眼に触れることを願いつつ、今夜は筆を置く。















  

3/01/2015

義務という名の



おばあさんの杖
おじいさんの眼鏡
お父さんの靴
お母さんのアルバム
お姉ちゃんのマグカップ
弟の積み木
僕の本
全部壊れた
お母さんと弟は死んだ
義務という名の大義のもとに

義務を示す長方形の布は
僕らを飲み込んで行く
別の名を権力というらしいが
今日も僕は
それを疑っている



















2/18/2015

猫の歌



とびきりの猫の歌
柔和に奏でる雨音に混じって
知らない声
見たこともない毛並み
車の下に潜って
砂利の上
植物は芽吹き
猫は歌いながら
今夜の寝ぐらを探す
場を動けない
窓辺のすみれが
ひっそりと聴いている
















2/01/2015

空白



空白を埋めるものは
ひたすらに空白なのです
空白は
単独に空白なのだから
空白を壊すことは
空白の仕事なのです

さあ出ておいで
仕事をしようではないか
怯えているのだろう?
空白が弄ばれることを
空白が弄ばれることを
空白が弄ばれることを
君の命と引き換えに
















12/29/2014

オリオン座



オリオン座が見えました
12月の夜空に見えました

慌ただしく仕事を片付け
煮豆の鍋に気を取られ
カレンダーを張り替えて
人の営みは
絹針の針穴を覗くよう

いつの間にか
大晦日やお正月が
鬱陶しい
いつの間にか
大人のふりをするようになった
でも
これはオリオン座には内緒
鋭角に瞬く星たちの前では
いつまでも子ども











どうぞよいお年をお迎えください。




10/27/2014

石鹸を売る女



硝子で出来た部屋から出て来て
石鹸を売る若い女
西の外れの山奥の土の上
トランクを開ける
東の外れの海岸の泡の上
箱を並べてる

女は紙切れを村人に配り
声を張り上げる
「脳味噌の中までもきれいになります」

南の外れの木々の上
北の外れの雲の上
女は石鹸を売り歩く
手を汚さず
手を洗うこともなく
手を洗ったことがなく




10/27/2014












8/23/2014

黒と黒







〈録音1〉
そうね、もっと小さめの密閉容器にすればよかったのね。それがね、聞いていた話と違って、実物のスライは、思ってたよりも小さかったの。几帳面なのね、私。でもあれより小さい密閉容器だと、スライが入らなかったかしら。スライ如きの為に、スライを保存する密閉容器ひとつ買うのにも躊躇したけれど、まあそれも必要経費だったのよね。なんの飾り気も無い半透明のアレ。その密閉容器に入れたスライを冷蔵庫で保存するのも、それではいかにも狂人扱いされ不愉快な気持ちにさせられるかもしれないと躊躇したけれど、あの暑い夏に長期間保存するのに、我が家の中で冷暗所といえば冷蔵庫しか思いあたらなかったの。そしてついでにね、アイスピックも買ったの。お店にあった一番長いピック。うちのキッチンの引き出しに入っている短いピックでも事は足りたのだけれど、やっぱり気持ち的にね。特別驚くほど、高い物でもなかったですし。アイスピックは長い方が振り下ろす時に、そしてスライを貫通する時に、容易ではないかしら、と思ったの。それに、先が尖って銀色に光る物って、いくつ家にあっても、邪魔にはならないでしょう?ふっ、お金を払う時、デパートの店員が面白い人だったわ。だってご丁寧に、ご自宅用ですか?なんて訊くのよ、笑っちゃったわ。密閉容器とアイスピックよ、わかるかしら?だからあえてプレゼント用にラッピングしてもらったの。店員は不思議そうな顔をしながら、包装紙の表面に、リボン付きのシールを貼り付けていたわ。その様子を遠くでまじまじと見つめながら、よくぞラッピングしてくれたものだと思ったわ。流石日本橋ね。まあ、あの日は休日で時間に余裕もあったし、それに店内でもう少し涼んでいたかったの。そして買い物が済んだら、急に喉が渇いてしまって、帰りに銀座で降りて、裏通りにあるカフェに寄り、琥珀色に透けるアイスティーを注文したの。お店の名前はええと...思い出せないわ、フランス語だったような......そう、クリスタルグラスの中のアイスティーは、それは綺麗な色で、暫く見惚れていたら、グラスがカランカラン音を立てて、そのうちに氷が全部溶けちゃったの。一口も飲まないうちによ。確か1時間ほどそのカフェに居たかしら。それからきっかり4時にカフェを出て、新橋方面に歩いたの。途中、通りかかった書店に入り、たった一冊だけ取り扱っていた丸山眞男の本と、ファッション誌を買ったの。ファッション誌の表紙に大きく、この秋冬のトレンド、とかなんとかと見出しが書いてあって、秋冬の到来はこれからなのに、だからこの秋冬はまだ何も流行ってはいないのにねって思いながら。そして新橋から電車に乗って。うちに帰り玄関に入ると、大きい靴が左右バラバラに脱ぎ捨てられていたの。右側なんて外側に倒れていたわ。それでその靴のつま先をドアのほうに向けて、揃えて置いたのね。その瞬間、ほんの2、3秒体が動かなくなってしまって、突然頭の中で何かがスパークしたの。...いいえ違うわ、スパークする準備が整ったからスパークしたのね。しつこいようだけど、几帳面なの、私って。......あの日のことで憶えているのはこれぐらいかしら。その後の事は、もう無我夢中で何も憶えてないの。......ごめんなさい、折角いらしてくださったけれど、今日はもう疲れました。申し訳ないのですけれど、またいらしてくださいませんこと?

〈録音2〉
それはつまり、理由...ですか?...それとも原因といった意味合いでよろしいのでしょうか?...さあ、私にもよくわかりません。ただ、スライが動いて動き続けることが許せなかったのです。スライが命令を下す、そしてその命令が実行されてこそ、スライは生き延びることが出来たのですもの。あの時もそう。スライが命令を下した。スライからの仕打ちに微細でも逆らうと、私は立つこともままならなくなるまで。でもね、スライはいつも陰に隠れて、姿を現すことはなかったの。そしてどこまでも貪欲なスライは、私の苦厄を餌がわりに食べていたのです。だから昨日も話しましたけれど、 もっと丸々と太っているのかと、思っていたのだけれど...あ、私が今話したことの意味、おわかりになります?...あ、それならよかった。ちょっと心配になってしまって。私、物凄く心配性で、10年後や20年後までの計画を立てないと、今日一日の予定も立てられない人なの。あら?さっきの話、どこまで話したかしら。そうそう、原因についてでしたね。原因は、そのどれにも当てはまります。そして、そのどれにも当てはまらないのかもしれない。あの日のことは、単なるきっかけでしかなかった。だから、これまでのひとつひとつを話してもよいのだけれど、膨大な量なので長くなりそうで、後半部分は墓場まで持って行くことにもなりかねません。次回までに話を整理して、短く纏めておきましょう。ところで、あなたは明日はお忙しいのかしら?

〈録音3〉
スライを知ったのは、もう20年以上も前。それまでは、スライが存在することさえ知らなかった。...春の晴れた日の午後、私がぐったりと床に横たわっていると、少し離れたところで、高笑いする微かな声が聞こえました。その時は幻聴かなにかだと思って、気にも留めなかったのだけれど。でも今にして思えば、それが始まりでした。そして、それから私の心身が脅かされる度に、その高笑いの声が聞こえるようになってしまったの。それは幻聴ではなく、段々と明瞭となり、遂にあの夏には、部屋中に鳴り響くグランドピアノの音量にまで達して。そしていつも高笑いと高笑いの合間に、むしゃむしゃと何かを食べているような音も。最初はその音が薄気味悪くて薄気味悪くて、音が聞こえ始めてから3年間は、毎朝目覚めると、きちんと両手両足があるかと、触って確かめたほどでした。その音が聞こえると、なんとなく生臭い臭いが室内に立ち込めるような、だから、つい。そのうちに、私が部屋にいる間は、ほぼ毎日その音が聞こえてくるようになって、私にとってそれが、いつしか通俗化してしまいました。スライの存在を認めざる得ない処遇の元に、暮らさねばならなくなってしまったのです。始まりのあの日から、スライが動きを止めるまで、私の心が安まる日は、一日たりとてございませんでした。

〈録音4〉
思い出すだけでも虫唾が走る、スライには無能な部下がひとりおりました。部下はスライに忠実な犬のようでした。犬のような忠実さが、部下の無能さを克明にし、無能が故に忠実さを保守するほか、思考が働きませんでした。スライが編み出した悪行の構想を、部下は忠実に実行に移しました。スライは当初、その対象を私に絞り込んでおりましたが、私が仕事で家を開けることが頻繁になると、私の娘にまでその対象を拡げました。当時、娘は私が仕事から帰ると、私にまとわりつき、私の側を離れない。そのような子ではなかったので、もしやとの疑念が拭いされないまま、山積する仕事と家事に追われておりました。しかし、私が働かなくては、明日のお米に困ってしまう。困ればまた、待ち構えていたスライが部下に命令を下し、あの高笑いする声が聞こえる。娘に何かなかったかと訊いても、娘は話を逸らし、答えてはくれませんでした。私は身動きできない日々を送っておりました。休日に4歳だった娘と久しぶりに一緒にお風呂に入ると、娘の体はあちこちが青黒くなっていました。尋ねると娘は転んだと話しました。それとなく部下にそのことを話すと、部下は慌てながら不機嫌になり、頑としてあの子が躓いて転んだのだと言い張りました。4歳の無抵抗の女の子の苦厄を貪るスライと無能な部下に、私はその場で復讐を誓いました。目には目を、歯には歯を...私は自らの彼らに対しての憎悪の念の煮えたぎる沸点を感じ取り、小刻みな震えが止まりませんでした。私だけでは飽き足らず、子どもにまで...あの...先生にお子さんは?...もしも先生が私の立場でしたら、先生は彼らのことを許せますか?...

〈録音5〉
蝉時雨...そう、蝉時雨が聴こえなかった...塵ひとつも動かない静けさでした。そこから再び記憶が...。スライのあの食べる音は聞こえないのに、生臭い臭いが充満して、室内は薄暗く、そろそろカーテンを閉めなくてはと立ち上がろうとすると、素足に触れた床が、ヌルヌルしていました。......スライも部下も動かなくなっていました。あの時に私は解放されたのです。遂に私はスライから解放されました。でもまだ油断は出来ませんでした。スライの最期を、この目で確かめるまでは。能う限りの方法を用いて、部下の内部からスライを取り出しました。うちには先が尖ってシルバーに光るものが、30はありましたから。...思っていたよりも小さかった。長年、これに私が縛られていたのかと思うと、愕然としました。しかし、スライが動かなくなっていることを確かめても、私はスライを端から信じてはおりませんから、時折スライの様子を窺う必要性がありました。ですからスライを密閉容器に入れ、冷蔵庫のチルド室の一番奥に閉じ込めました。それから部下を、部下の残骸には少々手こずりました。和室の畳を2枚とその下にある床板を剥がし、縁の下の土を掘り、部下をそこに埋めました。部下を移動する際、それはもう重いのなんのって...。娘は部活の合宿に行っていたので、手伝ってくれる人はいませんでしたから。まあ、それでも娘が居ない間にお掃除が出来ました。床も壁も家具も丹念に磨きました。 あの様に乱れた部屋に、帰ってきた娘を迎え入れるわけにはいきませんでしたから。あの時ほど、カーペットを敷いていない室内を喜んだことはありませんでした。それに部下は無職でしたし、滅多なことでは外出もしませんでしたので、誰も部下が居ないことに気が付かなかったようです。私は毎朝毎晩、スライが動いていないかを確かめました。キッチンの調理台にスライを置き、密閉容器の蓋を開ける時は目を瞑り、それからそーっと瞼を持ち上げて。もしもスライが動き出した時の為に、必ず脇にアイスピックを用意しました。そして、アイスピックの先で突き、微動だにしないことを確かめて、再びチルド室に閉じ込めたのです。ところが一週間ほどして、スライが以前のようにリズミカルに動き出す夢を見ました。明け方に見た悪夢でした。私はベッドから飛び起き、パジャマ姿で小走りしてキッチンに向かい、冷蔵庫の中からスライを取り出しました。そして、無言で何度も何度もスライをアイスピックで刺しました。...あら?先生、今日はお顔色があまり優れないようですが...大丈夫ですか?もしかしてお身体の調子でも...このところ残暑が厳しいですからね...

〈録音6〉
ええ、あれからよくよく考えてみました。先生のご提案には、とても感謝しています。あのご提案は、私の負担を軽減しようといった、弁護人としての先生のご配慮なのでしょう?有難く思います。でも...几帳面で神経質な性格の私には、どうにも...だって先生、私はどこから見ていただいても正常ですよ。突発的な一時の感情に任せたのではありません。20年前から計画していましたし、それに沿って着々と準備も進め、仕事だって今まで有給休暇以外休んだこともありません。慎ましやかに暮らし、お陰様でこの春にようやく娘も成人し、こうして出頭したのです。私はごく普通の民間人です。私ではなく、彼らではありませんか?今こうしている間にも、何処かの国々では争いごとが起こり、民間人に向けて無差別な空爆が行われていますでしょう?罪も無い多くの無防備で無抵抗な子どもたちが、爆撃により亡くなっています。彼らです。私は正常です。私より、彼らに精神鑑定を勧めてあげてください。私はキチガイなんかじゃありません。先生はどうぞご心配なく、お仕事を...





(08/23/2014)

























6/27/2014

信頼



内側から突つくんだ
内側から剥ぎ取るんだ
探すな
包み込まれる青い空も
不規則な波音も
懐かしい野草の
言葉にならない匂いも
隣でのんびり
数を数えている

思うほど
悪いことばかりじゃない


(06/27/2014)




















6/19/2014

推戴



あなたしか居ません
あなたにしか出来ません
あなたの言うことに
従いましょう
あなたが好いと
皆が口を揃えて言うのです
迎合は過去を塗り替え
筆を折る

万有引力に抗う蛹に
あなたは尋ねたことが無い
地表の温度を
疑いもせず


(06/19/2014)

























選別



そして
選別は始まる
選ばれし者は
泣いてゐる
嬉しいと泣いてゐる
歓喜らしき声が
水色の虚像を切り裂く
ご覧なさい
深いグレーの固形物を
溶接の痕
硝煙のにほい
選ばれし者の
母さへもみ見つけ出せぬ
選ばれし者の終の住処



(06/19/2014)




























6/18/2014

解放



閉じ込められた人がいて
もう一方にも
閉じ込められた人がいる
互いに交わす
決まり切った言葉もなく
顔を見ることさえ許されず

イメージの原流は
その隙間を
無数の曲線で移動する
唯其れだけの目的に
先頭のドミノは弾かれた
最後のひとつに
行き着くまでに

死者と話すと
大方のことが
上手く運ぶ
もう会えぬことさえも



(06/18/2014)









































5/26/2014

蓄積



知識の蓄積
経験の蓄積
時の蓄積
喜びの蓄積
痛みの蓄積
灰の蓄積
それらはいつか
奴隷商人に切り出された
今や
鮮やかな層の断面を
鄙びた博物館で展示する
観賞者は一匹の蝸牛
君の靴跡の上を横切って行く
隣には骸骨
愛すべき骸骨の山




05/26/2014



















5/25/2014

五月



薫風が木立の葉を捲り
金色のチヨコレイトの
包み紙が
口元で
微かな音を立て

鬱結は五月
現し身の哀歌は
孤島の裏側にまで
休みなく
届いています



05/24.25/2014