4/14/2013

【Apr/14/2012)】色物による返礼





若葉が香り立つ新鮮な言葉だった。
「GDPの伸び率以上にどこまでも需要を伸ばし続けられる経済などありえない」(朝日新聞4月11日朝刊19面「ジャン・ピサニフェリー教授のコラム@パリ大学」より抜粋)
全くもって、そうだ。ありえない。需要を伸ばし続けるには、GDPの伸び率を上げなければならない。解りきった話である。
しかし、新鮮に映ったのは、「デフレ脱却」がイカレタ録音機材かと思うほどエンドレスリピートに拡声し、「GDPを伸ばし維持しよう」と、お坊っちゃま政治家が明確に発言しないからである。
お父さんが毎晩新橋のガード下に足蹴もなく通い、千鳥足をSLの前で披露するには、お父さんの毎月のおこずかいの額を上げなければならない。
それじゃ華がないからつまらないと、革張りソファに「座って10万円」の銀座高級クラブへ通い続けるには、接待であと一押しの契約まで漕ぎ着けることができる新規顧客を開拓し続けなければならない。
需要を維持するということは、そういうことである。が、お坊っちゃま政治家は、おこずかいの額を上げてと奥様に嘆願する必要性もなければ、選挙で当選までに至る固定票を集めていれば、わざわざ労力と時間を消費して、新規支持者集めに日々翻弄する必要性もないのであろうか。

「飯にしてくんな」
「ないよ」
「ない?」
「お米がないんだよ」
「なきゃ買ってくればいいじゃねーか」
「御足がないんだよ」
「御足がない...そうか、じゃ寝るか」
これはかつての庶民の愛すべきお気楽加減だ。ある落語の一節である。
江戸時代には、家族をほったらかして勤労意欲に燃える男のことを「甲斐性なし」と呼んだそうである。恐らく女たちが言い出したことであろう。せっかく夫婦になっても家に居ない、会わないのであるから「夫婦になった甲斐がない」のだ。
が、江戸時代の気楽な庶民労働力では、GDPの伸び率は上がらない。調べていないのでなんとも推測に過ぎないが、主食であるお米の需要が減少傾向に陥ったとしても、理にかなう流れであろう。
さて、前置きが長くなった。
今日はあくびが出るほど退屈な、自分語りに徹しよう。
私自身、この頃において退屈な日々を送っている。退屈している人が書くわけであるから、退屈な話は避けられない。
福島第一原発事故による汚染水漏洩も、北朝鮮による武力行使をほのめかす恫喝も、「改憲」を謳う自民党と維新の会の雑音も、どれもこれも退屈である。これらの出来事は激昂に比することであり、そして且つ激昂しているけれども、我が心は退屈である。というよりも寧ろ、ここ数年前から今日に至るまで、これ程までの刺激を受け続けることにより、何が起こっても驚かなくなっている感覚の鈍りが、「退屈」を創出している。
不謹慎であることは承知の上である。私の憤りも遂には上限を越え、迷走段階に入ったと言えよう。
憤りを緩和させるストレス発散方法は、「ショッピング」。私のようないい大人の女は、お財布の中が空になるまで、買って買って買いまくってこそ、社会貢献だと言い訳しながら逸り気を俄かに消化する。ストレスを、趣味と実益を兼ねた愉悦に替える有益なチャンスである。大人の女は高くつく。
ところが、肝心の物欲が無い。ストレスを感じなくなっているのか、末期の重症である。いますぐストレッチャーの上に横になって、救急搬送されたい。酸素マスクと点滴で処置されたい。赤信号のハチ公前スクランブル交差点を、時速120キロでビュンビュン走行していただきたい。中井貴一似の救命士が私の顔を覗き込み中井貴一似の滑舌で「もう大丈夫ですよ」、と優しく語りかけてもらいたい。
「私たちの国の民主主義」たるいい加減な政策に辟易しているのだ。民意が待てど暮らせど政府まで届かない。私と思いを同じにしている方も多かろう。ヘラヘラとしたせせら笑いが、意識するとも無く口元を襲う。やはり重症だ。もはや知らぬ間に私の中に悟り菌が入り込み、発症に至ったのか。抗生剤だ抗生剤だ、早く早く。いや、私の物欲は強固でしたたかであるから、悟り菌への免疫力がある、はずである。第一、このようなことを言うと、何処かの御前様に叱られる。が、需要に寄与できぬもどかしさ。社会人のひとりとして、忸怩たる思いが募る。どうにかして是が非でも、治療せねばならぬ。
「紅茶キノコ」を飲むべきか...。
いいえ、ダメよ、あんな得体の知れないものを飲んじゃ。それにあれは「キノコもどきを浸した紅茶」であって、名前だけを聞くと「キノコ」が主。本来は紅茶を飲むのだから「キノコ紅茶」でなくちゃネ。「午後の紅茶」であり、「紅茶の午後」は飲みたくても飲めないぞ。ああ、誰か私にAEDうぉおおぉおぉおぉぉぉ...。

今月に入り非正規雇用の仕事に就いた。私のGDPの伸び率が、チョッピリ上がったというわけさ。
が、末期症状のあくびをしている間に、ついうっかり重大なミスを犯した。予約し忘れていたのだ。だから私の病が治らないのだ。問い合わせの回答は「次回の日時は未定」だという。だが、今度こそと次回の予約を入れた。
「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」という村上春樹氏の処方箋を。
あれ?しっかり物欲あるじゃん...。




0 件のコメント:

コメントを投稿