12/28/2012

【Dec/28/2012】音読する力






もうお気付きかと思いますが私は既に別の道を歩み始めていますところなのでかと言って私の日常にこれといった変化はこれからも期待していませんし少しの期待があってもすり抜けて行く程度ですし何が言いたいかと申しますともうね時間がどんどん進んじゃってるってことで室内で過ごすのがホントに好きで止められませんからまあこうゆう時こそと籠りに籠って静かに静かに暮らしておりましたがここにきてピンと閃くものがございましてこれは楽しそうだと結論づいた結果からこれからのまあ大袈裟に言うと目標と言いますか目的はともかく目標がありますと人から見ればなあーんだそんなことかという目標でも有ると無いでは本人にとっては大違いであるからしての目標を見つけてしまった次第なのでございますがその目標を達成すべくにあたっての計画に来年は身も心も捧げる勢いは白々と夜が明ける予感の到来とも言うべく着実に手応えを感じそしてまたそれはーーー私の個人的なことはまどうでもいっかなという。


今年最後のブログとなります。
2012、このような私にお付き合い下さいまして、ありがとうございました。
どうぞ良いお年をお迎え下さいませ。

I Love You ,I Love You,I Love You.
Marilyn R









12/27/2012

【Dec/27/2012】のし餅の角





お正月用の四角いお餅。大きな一枚のお餅。「のし餅」と呼びます。お若い方では、恐らくご存知ない方もいらっしゃるかも知れません。四角いお餅は「サトウの切り餅」。それも有りでしょう。また逆に、お餅つきを楽しむ方もいらっしゃることでしょう。
年末になると、予め注文しておいた「のし餅」が配達されました。もう随分と前の出来事になりました。
今でも近くの和菓子店では、注文でお餅を作ってくれます。のし餅であろうと鏡餅であろうと縁起物の紅白餅であろうと。しかし残業なことに、今年も我が家は「サトウの切り餅」。のし餅では、量が多くて食べきれないのです。お餅は冷凍保存できますが、やはり味が落ちます。
何のことはない糯米一升分のお餅を大きく長方形にのしたお餅。
配達時は、包丁を入れるにはお餅はまだぷにゅぷにゅと柔らかく、1日ぐらい落ち着かせてから。一個のサイズを、縦横の長さをきっちりと寸分狂わずに切る作業にしたくても、やはりすこーし狂います。切り口の角を直角に切ろうとしても、タイミングが早ければ柔らかくて角が曖昧になったり、遅ければ固まって包丁が入りづらい。この作業は年に一度きり。ですから、思うように上達しません。
その作業が始まると、いよいよ年末はラストスパート。鏡餅も一緒に届きます。

お餅が手軽に年中いただけるようになり、それはそれで、いつでもお汁粉やいそべ餅が身近にあることに、不満はひとつもないのですけれど。けれども。








12/24/2012

【Dec/24/2012】



http://m.youtube.com/watch?v=2kfQdolw0DA





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・*.. .:*・゜゚・*Merry Christmas**:.*・゜゚・*: . :*・ ・*:.。. .。.:*・☆゜゚・*。..。.:*・・*:.。. .。.:*・☆ ☆ ☆ ☆






12/14/2012

或る福島六郎さん(仮名)の話【朝ぼらけ新聞12月14日付】



投票日も2日後と迫り、師走の街頭にて道行く有権者に衆院選について話を聞いた。
『選挙カーが入れ替わり立ち替わりこの付近を通るんだ。枯れかけたうぐいす嬢の声が、何やら喫緊の出来事を知らせるかの如くね。晴天の昼下がり、アレをやられるとねぇ。
今回の選挙はね、争点がバラバラなんだよ。だってね、原発、雇用、TPP、増税、憲法改正、核、社会保障、経済成長、赤字国債、米中韓など国際問題、沖縄米軍基地移設問題など細かく挙げるとキリがない。最近じゃ人権に触れることまで。あれにはかなりピキッと神経を逆なでられたよ。文体からしてお粗末な草案だと言われてるけど、確かにそうなんだけど、「本性見たり」の感が否めないなあ。権力者が権力を思うがままに振るおうとする時、何が邪魔って国民の「基本的人権」が、何よりも邪魔だからね。もし草案が通っちゃったら、政府にとって不利益な言動を行った人は、つかまっちゃうことになるかもね。ああ怖い。なんだか軍国主義の大日本帝国みたいだなあ。その頃僕はまだ生まれてないけどさ。で、「自由と権利には責任と義務が」とかなんとか書かれてあったけれど、「責任と義務」が一括りなんだって。法律はランチセットじゃないよーっだ、てね。そうそう、ランチセットのウサギの餌みたいな形だけのサラダ、どうにか改善してくれないかなあ。いつも、こんなまずいサラダは要らないって思うんだよね。賛同してくれる「脱サラダ」の仲間を集めて日比谷公園一帯にシュプレヒコールの渦を撒き散らそうかな?海外メディアなんかを一斉に招待するの。これは僕らにとって重要事項だし、日本中の国民が各地でデモに参加してさ、そのうちデモに明け暮れて、だあーれも働かなくなっちゃうの。え?大丈夫だよ。我が国では、国民は集会と表現の自由が法律で保障されてるんだ。それも平等にね。
それでね、僕は六人兄弟なんだけど、上から4番目までのお兄さんたちは事故で大怪我しちゃったの。僕は末っ子で、あの事故の時は現場から少し離れていたから、なんとか助かったんだ。今はクリスマスバケーション中なんだよ。あ、よく話し方なんかや中身が幼稚だって言われるけど、これでも33歳の独身さ。あはは。働いてる会社の会長や社長とかの真似してたら、こんなふうになっちゃったの。あはは。やっぱり上司に合わせないと、社内で生き残れないこともあるでしょ?でしょ?月給取りのつらいところだよね、うん。それにしても、いつまでバケーションなのか、本社から聞かされてないんだよ。だからいっそ転職したいと思ってるんだけど。バケーションと言っても自宅待機でね、暇で暇でしょうがないの。
それでね、今日僕が話したかったことはね、誰に、どこの政党に投票しようか決めかねてるってことなんだよ。僕は普段は無口で通ってるけど、内に秘めたる思いは、核爆弾なんて比べ物にならないぐらい熱いものがあるんだなあ。でもこれは、僕ら兄弟のDNAに組み込まれているから仕方がないの。だから僕を怒らせちゃ、後のことは知らないよ。だって誰にも直ぐには止められないんだからね。
それにしても、こんなに多額の赤字国債という国の負債を、どうやって返すんだろう。返すには稼がなくちゃいけないでしょ?じゃいったい何をして稼ぐの?輪転機をぐるぐる回しても、最後には紙屑になっちゃうのがオチだしねぇ。どこかの党じゃ、インフレのイメージに転換させるって言ってたけど、今年10月の金融緩和を境に金融緩和に見切りをつけないなんて、よほどの輪転機ストーカーなんだね。きっといい思いをして未練タラタラなんだよ。そうかなあ、輪転機のボディラインは、あんまりいいとは思わないけどなあ。でも無価値の札束は、子どもの銀行ごっこにいいかもね。これでオレオレ詐欺も居なくなっちゃって、ご高齢の方も安心だよ。で、実は僕はTPPにはなんとなく賛成なの。農家の人たちの暮らしはを守るためにも。矛盾してるように思われるかな?みんなも知ってるでしょうけれど、お米にしたって野菜やお肉にしたって、日本産が他国より品質管理が徹底してるのね。他国の遺伝子組み換えや農薬を濫用した農作物を好む人は少ないと思うよ。でね、日本の総人口が膨らむこれから数十年をどう凌ぐか、じゃないかな。その後は減少傾向だから、今みたいに沢山の食べ物は必要無くなるし。現在だって我が国の自給自足率では、到底国民が食べてはいけないでしょ?そして自由貿易は安く買うこともできるけど、安く売りつけることも出来るのね。烏骨鶏いや違う、あ、烏骨鶏の卵は美味しいよでも違う、えーとー滑稽関係これも違う、なんだっけ?まあそういった関係でお互いがお客さんになるんだよ。いくらなんでもお客さんに喧嘩を売る商人宿は、まずいないでしょ?だって商品は、売れて商品残ればただの在庫、だから仲良し。中国とアメリカが思想から何から違うのに、どうにかこうにか緊張感を解しながらやってこれたのは、今のところどちらにとってもお客さんだからなんだよ。物はね、国が安定してないと先行きが不安で買おうとする意欲が萎えちゃうんだ。これからいざこざが勃発しようって時に、優雅にショッピングを楽しもうとするほど、人はまだそこまで落ちちゃいないのね。だから仲良しじゃないとダメなの。それにね、営業時間や定休日や値段が決まってない不安定なお店から買いたいとは、お客さんは思わないの。あ、電力会社が安定供給だって騒ぎ立ててるけど騙されちゃいけないよ。あれは料金値上の口実なんだ。電気の在庫なんて元々ないんだから。ひと冬保つ沢庵漬けみたいに作り置きができないんだよ。元々作り置きがないのに安定した供給なんてこと言うの、変でしょ?まやかしだよね。あーなんだか今日の僕、喋り過ぎだなあ。これってお喋りの安定供給だなあ。
と、僕が柄にもなく経済の話をしたのはね、この国の雇用状況に少し腹を立てているからなの。僕の知人のお子さんがね、某コンビニでバイトして、「田楽マスター」のバッジ欲しいほどだって言うほどおでんを作りまくってたんだけど、時々勤務時間後、即ち勤退を登録した後に、オーナーから1時間近くもネチネチお説教されたり、毎回店長から「あんたバカなんじゃないの‼」って罵倒され続けてね、30代のオーナーが15歳に業務上の嫌がらせをしたりするんだって。いい大人が未成年者に挑発的なストレスをぶつけるんだって。これっていくら就職難といっても、本来健全なイメージのコンビニでさえ労働者の足元を見るような態度じゃない?だから僕は「人のこころはお金じゃ買えないぞっ」と受け売りの言葉なんかでカッコつけてみたんだけどね。その子はバイトを辞めちゃって、そのオーナーは、みんなが欲しいものはお金だけだ、と鷹を括っていたんだよ。辞めて良かったよね。そりゃお金はあればあるだけいいけどね、あなたも年末ジャンボ宝くじ買ってどうせ末尾一桁の当選だとわかっていてもニヤニヤしたりするでしょ?増税になったら今より生活が圧迫されることが予想されるし。国にしても支出ばかりが増える一方で、社会保障に予算が回らなくて、やむなく増税なんだって。出生率が減少傾向だから納税者も減少するのね。ま、一人が毎月一億円納税する社会に持ち上げれば問題はないかな。あははは、まさかそれは。買い物は消費税増税が導入前に、だよね。その後の景気指数のことなんてさ、あはは、個人には知ったことか、だよね。
そこで僕は思うんだよ。今回の選挙のキーワードは「お金」だって。立候補者はあれがよくないこれがよくない、こうしようああしようと言ってるけど、そのどれにも費用がかかるんだ。改憲だって、もし国防軍となったらその維持費は自衛隊以上の予算を組まなくては国のとしての体裁が整わなくなると思うよ。まあ、それが狙いなのかな?東北の復興もちっとも進んでないのに、まだまだ仮設住宅で暮らして、離散家族がいっぱい居るのに隊だの軍だの喧しい。なのに「第一義的には子どもは家庭で育てる」って、よく言うよ。
だけどね、僕は思うんだよ。戦後の首都東京の焼け野原や広島長崎から、こんなふうに経済成長を成し遂げた国も珍しいんじゃないかなって。ダメージが大きかったから、元に戻そう、いやもっと豊かになろうってそりゃあもう急いで走って来たんだけど、これからみんな何処に向かいたいのかなあ、そして何処に向かおうとしてるのかなあって。政治家のみなさんは、有権者と有権者の子どもや孫が何を求めているのかホントにわかっているのかな?僕は今、あれはいらないこれはいらないと思うけど、でも何が欲しいのかと訊かれたら、よくわからないな。うちには洗濯機もあるし、冷蔵庫には食べ物がぎっしり、箪笥から服がはみ出しそうだし、椅子やテーブルだってあるんだよ。すごいでしょ?公約なんか読んでると、好い事ばかり書いてあるけど、何て言うんだろ、お金で解決することのその先が明るくないの。どんよりしちゃってる。だから僕はね、冬の快晴のピッカピカの空の下で、来年のことを考えたりするの。これまで齷齪働いてきたのに、ここにきて誰に投票していいか決まらないなんていう社会になるとは、予測さえしなかったよ。もうね、のんびり暮らしたいんだ。立候補者やメディアがこれでもかって不安を煽るでしょ?政府の発言や世の中の情報に一喜一憂するのは疲れちゃったの。この国は過去に内乱もあれば戦争もあったけど、この国が船のように海底に沈んでしまったり、或る日突然、北海道から沖縄まで消滅してしまうことは殆ど考えられないよね?何をそんなに焦っているんだろう。まあ勿論、内乱や戦争なんて無駄なことには反対だけど。
あ、記者さん、この取材を記事にする時は、僕の名前を仮名にして下さいね。もー聞き上手なんだから、うっかり勤務先に触れることまで話しちゃった。え?社会部長さんなの?どーりで変顔、あ、いえ。
じゃ、お話聞いてくれてありがとう、これで失礼します。僕これから「モテモテ恋愛コース」のセラピーを受けに行くの。やっぱこんな僕じゃ、一生結婚できないよなあ。なんたって今じゃ日本一の嫌われ者だからね。』と、嬉しそうに話した。


※このお話はフィクションであり、実在する個人、団体等とは一切関係ありません。







12/05/2012

【Dec/05/2012】玄関とサンタクロース

この年末、「年末」なんて言葉を使うような時期に突入してしまった。本来、クリスマスという行事に向かって賑賑しくなる季節なのだが、都知事選、衆院選が凌駕してしまった気配が無きにしも非ず。
昨年は大震災があり、とてもじゃないがクリスマスを迎える気持ちには至らなかった。今年は党や立候補者が暗躍に走り回っている間にも、サンタクロースの親たちは子供を想うことであろう。それにしても子供の楽しみが、選挙に掻き消されてしまいそうだ。勿論、子供の未来を左右する総選挙には注視しながらではあるが。そういえば、と一昨年から仕舞いっぱなしになっていたクリスマスリースがあることを思い出し、遅ればせがら玄関のドアに飾る。リースはゴールドに着色された蔓に、赤くて細いベルベットのリボンを全体に巻き付け、上部に木の実の束をあしらった極めてシンプルなデザイン。数年前の自作である。これでサンタクロースも迷うことがないであろうか。が、うちの娘は高校生で、もうサンタクロースは我が家へ来訪しない。嬉しいやら寂しいやら、じつに嬉しい。
日本の玄関は不思議な空間だ。玄関ひとつで外から完全にシャットアウトされる。「玄関先で失礼します」や「土足で踏みにじる」などの言葉にもあるが、玄関はその家々と外との境界線の役割をしっかり果たしている。そんなことは周知している、と非難されそうであるが、よくお考えいただきたい。世界では家の中に入る際、靴を脱いで上がる生活習慣がある民族のほうが少ないのである。私たちは「家の中に入る」のではなく、「家に上がる」のである。先程私はあえて「うちの娘」と言った。これが他国では「私の娘」という確率が高くなると思われる。「うちの子」「うちの母」「うちの学校」「うちの会社」、毎日頻繁に耳にする。「うち」があるのであるから、対比して「そと」が必ず存在する。
以前、著者が外国人の何かの本の中に、「日本は欧米化しているといわれるが、一歩建物の中へ入ると、そこにはどこを見ても日本がある、云々」と書かれていた。日本に何本ものビルが建とうと、日本人が近代的で洋風の生活を営もうと中は、「日本だらけで、日本で埋め尽くされている」と明言しているのだ。その理由についての明確な答えは書かれていなかったが、私は日本の建物の構造や間取りをすぐに思い浮かべてしまった。「玄関」という空間について。
NY滞在中は、最初の数カ月は靴をはいたままで室内にて過ごしてはみたものの、そのような習慣で育っていないせいであろう、やはり足が疲れる。室内が汚れやすくなる。そこで即「土足厳禁」とした。靴を履いて室内を過ごす習慣の友人が訪ねてきた時は、その旨を一応は話し、後は友人に任せた。凍りつく冬場、編上げのロングブーツを履いている友人に「どうしても靴を脱いで」と強要する訳にもいかない、と思った。あちらでは、よく家や部屋を訪ねたり訪ねられたりと、かなり気軽に家々を互いに訪問し合ったが、帰国後には、そう簡単に訪ねる訪ねられるといった行動が減少してしまった。これはひとえに玄関という特別の空間が、そとからの人を容易に家の中へは入れない、もしくは入れないということに起因しているのではないか、と考えた。招待した客人に対して手放しで歓待し、「ささ、どうぞどうぞお上がり下さい」と捲し立てるように言ったり、言われたり。そこまで言わなくても招待した(された)のだから、当然の如く「家に上げる(上がる)」のだが、アメリカでここまで仰々しくしてドアの向こう側へ入ることはなかった。どのような玄関にせよ、日本の「玄関」という空間はある意味で神聖な場所ではないのか。これはどちらが善い悪い、優る劣るではなく、そのような生活習慣が齎した結果として、私たちは「そと」から「うち」へ移動することにより、別の空間ないしは世界観を創り出すのではないか、と。もう随分と前のことだが、あるアメリカ人が、「私たちは季節の風景を愉しもうと思えばその風景があるところへ出向くが、日本では季節を部屋の中へ取り込もうとする」と話した。その時の私にすれば、「何を言う、旅行もするぞっ」と反論したい気持ちで、が、「季節を部屋の中へ取り込む」ことには何の疑問も湧かなかった。「そうだけど、それが何か?」。ところが、そのアメリカ人は、枝ものの花木をわざわざ活けては床の間に飾る習慣に、疑問を持っていたようだったのである。言われて然り。休日に郊外へ出向くとアメリカのお父さんたちは、めんどくさそうに庭で芝刈り機を動かしている。庭はどちらかというと家屋からの延長で、天井のないもう一部屋。バーベキューを楽しんだりバスケットボールのゴールが設置されていたり。塀や門もなく、公共の「そと」と私的な「うち」がグラデーションのように繋がっている。だから室内からは平坦な芝の目を眺めるしかない。日本庭園は広大な敷地があれば散策したりと別ではあるが、一般家庭では大概の場合、庭の景色を部屋の中へ引き込もうとする。そして枝ものの花木は、活けて楽し飾って美しである。
茶室では玄関に相当する「にじり口」という得体のしれない扉から室内に上がる。異空間への入口である。が、中には季節の掛軸や花を飾り、機密性ある空間のここでも「そと」を意識し「うち」へ引き込んでいる。
レストランではアメリカ人は、広々とした中央の席へ座りたがり、日本人は隅の席へ座りたがる。中央の席は開放感と主賓を表し、壁沿いの隅の席は「うち」と「そと」の境界を作る範囲が狭く、それに適し、また同時に「そと」の空間を効率のよい視野で取り入れ易い。
ところで、選挙は政治家にとって「玄関」である。各政党の「うち」で何が起きているか「そと」の有権者には知る由もないが、中央の席に座っても「そと」を取り入れるのであろうか。
娘が5歳の時だった。クリスマスの朝、プレゼントを前に一通り喜んだ後、ポツリと一言。「サンタさんはブーツを脱いでお部屋に上がったの?」。無論、親は部屋に上がる時は靴を脱ぐ。クリスマスが近い。選挙後の政治家のみなさんは、まさかこの国の子どもの将来を土足で踏みにじることはないであろうが、さて。

10/23/2012

【Oct/25/2012】新米とマルメロ


「新米」のシールが、どの米袋にもべったり貼り付けてある。新米の季節である。

母の里親であり、私にとっては祖父にあたる人は、出身が秋田だった。母は里親の従兄の長男と結婚し、私が生まれたので、祖父とはぐるっと遠回りで血縁者。ちょっと複雑。
祖父の実家は米作りの農家で、祖父の名前には、漢数字の「三」が使われての通りの三男坊。上に兄が二人、下に弟が一人妹が一人。本家と農業を継ぐのは長男で、旧制中学までは辛うじて行かせてもらえたが、「三男は好きにして良し」と、そこで学費の援助は打ち切られたという。
ほどなく祖父は上京し、後に大学の夜学に通いながら、昼間は測量事務所で働いた。何故か「地図」に魅了されたそうな。三男への仕送りは一切なし。こう話すといかにも苦労人に思うかも知れないが、本人は意外とさっぱりしていた。その年によって豊作不作の、農業の大変さが身に染みていたらしい。
祖父は、上京後から他界するまでの60年近くを、東京で過ごした。何年経っても秋田訛りが抜けなくて、「お寿司」が「おすす」に聞こえた。「獅舞い」は「すすまい」。正確には「し」と「す」の間の微妙な発音。お国訛りとは裏腹に、精微な筆跡の持ち主だった。なんの当てもなく上京し、電車で銀座から1時間もかからない場所に、お風呂付きの家を建てたことに多少なりとも自負があったようだったが、日常では清貧であることを好んだ。
肌寒い朝、木製の建て付けの悪くなったガタつく雨戸を開け、鼻腔の奥に澄んで冷たい空気やら金木犀の香りやらが入り混じる季節になると、毎年祖父母宅へ秋田の本家の親類より、荷札が付いた小包が届いた。電話かかってくるから、祖父母宅へ向かう。
箱を開けると、中身はいつも同じで、秋田の新米と地鶏とマルメロの缶詰。「もろこし」という、小豆粉と砂糖を固めた、長方形のモザイクタイル状のお菓子が入っていることもあった。祖父は下戸の甘党で付き合いが悪く、上司におべんちゃらを言うタイプでもなく、あまり出世できなかった。処世術に関心がなかったのである。
炊き上がった新米はツヤツヤで、粒がシャッキリと立っていて、塩むすびで十分満足し得る姿と香りであるけれど、直ぐに木枯らしでいい塩梅になるまでつく。湯気で祖母の眼鏡が薄っすらと曇る。あーっ!炊きたてのご飯に何するの?最初にその場に立ち会った時は、祖母が遂に血迷ったか、と思った。何のことはない秋田の郷土料理、「きりたんぽ鍋」の仕込みである。ついたご飯を専用の棒の周りに形作り、その表面を軽く焦げ色が付くまで網の上で炙る。
すき焼きであれば牛肉、寄せ鍋であれば魚介類。きりたんぽ鍋はお米が主役。お醤油仕立ての汁の中に、地鶏と茸と牛蒡など根菜や長葱、斜めに切ったきりたんぽを入れる。
その間の台所は女の園で男子禁制。包丁でまな板を叩く音や、女たちの笑い声。祖父は隣の茶の間でテレビを観たり、マルメロの缶詰を懐かしそうに眺めて過ごす。無駄なことは話さない口数の少ない人だった。尤も基本的に「男子たるもの台所に入るべからず」の人でもあった。「新潟のお米も美味しいけれど」と前置きを付けて「秋田のお米が一番です」。郷土愛溢れる祖父の言葉が、祖母と私の笑いを誘う。祖父は私に対して「です・ます調」で話した。
祖母の弟が、羽田から少し西へ行った所で町工場を営んでいて、弟夫婦を招待することもあった。
郷土料理を囲んでの賑やかな食卓。
デザートにマルメロと、もろこし。

先日、八百屋さんの目立たない場所に、「かりん」が置かれていた。知らないとは恐ろしや、「マルメロ」が「かりん」だと知ったのは、ほんの数年前のことである。だが「マルメロ」の響きの方が、私にはフィットする。マロン、マカロン、マカロニ、マロニエ、マルメロ、ほらね、いい感じ。
今日はこれから、秋田の「すんまい」を買いに行く。


10/13/2012

【Oct/21/2012】アメリカ合衆国ジャパン州


前回のブログの最後の段落を書いている時、これから書こうとしているお話が、ふと2秒ほど頭の中を過った。
お話は襟懐を震撼させる面白さであった。
それは、「週刊朝日 10月19日号」の中にある。
目次からそのまま抜粋すると「机上の放談スペシャル対談 養老孟司×池田清彦 大胆な『世直し』提言 バカとアホの壁を越えて」(38頁)。週刊誌特有のタイトルは、少々長い。
養老先生と池田先生の、「大胆」に輪を掛けた対談の内容であった。
お二人の舌剣が心地よい。
日本の政治、社会の拙策を、メタメタに斬りつけていた。
だが、私が身震いした箇所は42頁の4段目のからの部分。
よって以下に引用します。(敬称略)

養老 政策といえば、日本人は、以前、ブッシュのとき、アメリカ大統領選への関心が世論調査で80パーセントもあった。アメリカ人は40パーセントしかなかったのに。だから僕はいつも、日本はアメリカ合衆国に合邦すればいいと言ってるんですよ。
 
池田 それはおもしろい。日本人は1億3千万人いるから、むこうのマイノリティーをリクルートすれば、日本人だってアメリカ大統領になれる可能性がある。アメリカの人口は3億少しだから、日本人は構成では3分の1にもなるわけだ。
養老 ただ問題は、日本人があの大変な国を抱え込めるかってことで。
池田 それが問題だ。日本人に誰かそういう才覚のあるやつがいれば。なにしろ、そのときは日本をどうしろって話じゃなく、世界をどうするのかって話だからね。
養老 TPPがどうのこうのって話じゃない(笑)。
池田 アメリカを乗っ取るんだよ。
養老 これが中国相手だと無理。むこうにすぐに乗っ取られてしまうわな(笑)。

と、ここで対談記事は締め括られていた。過激だが途轍もなく面白い。
この発想は「庇を借りて母屋を取る」(「庇を貸して母屋を取られる」の能動態)。
民主主義では「数」がモノを言う。
そうだ、アメリカと合邦だ。アメリカ合衆国ジャパン州になるのだ。ニホン州でもニッポン州でもよい。
先ずはTPPの問題は、忽ちのうちに解消する。日米貿易は国内流通にシフト。
課税の関係で、食料品と日用品の価格が下がり、消費税を10パーセントまでに増税しても、現在より安価であり、生活が平易になるかもしれない。
どれほどのアメリカが抱える経済的負債があろうと、日本が抱える赤字国債は、もはや将来、隣の宇宙まで届く勢いの数字である。
これがジャパン州となれば、アメリカの財政問題であるから、おのずと若干は緩和されよう。
アメリカの各州によって法律が異なる特質を活かし、ジャパン州に合わせて立法する。どうせ戦後にアメリカの都合上により草案された日本国憲法である。9条を存続させることにも、アメリカに異議はないと思われる。この憲法を叩き台にして今風にアレンジし直す程度で、議会で通るであろう。
言語教育の問題もクリアできる。どの道教育プログラムに英語が組み込まれているのだから、今と何ら変わりなく、名称を「日本語」と「英語」と変更すると片付く。実際アメリカ国内においても、地域によっては独自性の高い英語が浸透している。国によっては地域や公と私で2ヶ国語を使用し、問題がない。
「歴史」は偏った箇所があるぐらいであるから、この際大幅に修正を入れて、組み立て直すことが出来よう。グローバル時代だとか、世の中がうるさくせかすので、教育で日本人の不得意とする「欧米やアジアの歴史」に厚みを持たせよう。
なにより学校を幅広く選択できる。面倒 な留学の手続きなく、アメリカの学校へ入学できる。ハーバード大学を目指す若者も増えよう。入学より卒業が難関であり、学びに多忙で就活もままならず、学生本来の姿に戻ることも出来よう。日本の学校においては、少子化で経営難に陥っている様子が見受けられる故、アメリカ本土や他国からの学生を積極的に迎え入れられることが出来る。異文化交流に一役買うこともでき、「日本人は何を考えているのか分からない」といった偏見も軽減されるであろう。
治安は安定するのか。
アメリカで悪さする輩の多くは、20ドル、せいぜい50ドルを渡せばそれを握り締めて逃げて行くから、5000円欲しさにそのような輩が飛行機や船に乗り、日本へ押し寄せるとは考えにくい。余談だが、アメリカ合衆国のネイビーブルーのパスポートは、渡航の際には世界一強いと言われる。
細かいことだが、貨幣をドルに変更となれば、紙幣が中心で硬貨の種類が少なく、お財布の中がスッキリとして良い。そして、クォーターと呼ばれる25セント硬貨の、なんと使い勝手のよいことよ。企業にしてもドルと円の為替相場を気にせず取引が出来る。性能を誇る日本車は「国産車」として求め易い価格で販売され、国内需要が伸びるであろう。とすれば、ジャパン州企業の株価はおのずと現在よりは安定へ向かう。
さて、ここからだ。
ジャパニーズアメリカンを合衆国の議会へ。そしてホワイトハウスへ。
池田先生のおっしゃる通り、人口の3分の1は日本人だが、あと6分の1以上の賛同者が必要だ。「数」は多ければ多いほどよい。アジア系、アフリカ系、南米系が、結束して票を集めよう。彼等親族に、グリーンカード(永住権)やシチズン(市民権)を優遇して発行すると公約を掲げると、即効性ある、より多くの票が集められることが可能である。
初のオリエンタル系合衆国大統領は、リベラルに政策を進めなくてはならない。有権者はそれに期待して投票している。その点において日本人は、異文化をすんなりと取り入れ調整することに長けている。文字ひとつにしても中国大陸から漢字を輸入し、漢字を元にカタカナ、ひらがなを創り出し組み合わせては日本語として継承している。徳川幕府が鎖国に踏み切った要因に、この民族的柔軟性を懸念しての策であると言えよう。だからこそ日本人は、アメリカ大統領に適任であるのだ。
日中韓がギクシャクしている。これは皆同じテーブルに着いていないからである。隣のテーブルの客が騒ぐとうるさく感じる原理と同じである。アメリカ合衆国ジャパン州として外交を行う。特に中国とアメリカ合衆国ジャパン州との宴会の同じテーブルで、誰が騒ごうと止める人はいない。
それにはノーベル平和賞を受賞した欧州連合を見習い、先ずは「太平洋・アジア連合」を締結させる。とは言え、欧州連合を丸写しでは、いささか芸がない。アジアとしてのプランが必要だ。アジアの和平を軸に、どこに接点を見出せるのか。国は人に似ている。
積み上げたキャリアに重点を置く人もいれば、自分を取り巻く環境に重点を置く人もいる。しかし、必ずそこに接点はあるはずである。日系大統領が各国の長所を取り入れ配慮し、全体としての新たなスタートラインを構成する。長時間に渡る熟議を要するかもしれない。が、その後の「太平洋・アジア連合」により、尖閣諸島や竹島問題において、これらは対アメリカ合衆国ジャパン州との話し合い、アメリカと、それこそ喧嘩腰での話し合いなどあり得ない。(この件についての詳細説明は省略)。和やかに事が収まるであろう。だが、ロシアとの北方領土問題は、やや手こずる可能性を秘めている。今昔の争点、カニの密漁疑惑が浮上している。が、我が国、いや全世界において自分の持ち物には名前を書くことが通説であるから、カニ1パイずつに「ロシア」と明記さえすれば、たとえジャパン州海域に迷い込んだロシアのカニが漁で網に掛かったとしても、オホーツク海へ戻せばよい。フェアである。仮に密漁が行われた場合は、甲羅に「ロシア」と記名されたカニの写真を、密漁の証拠として残すことが出来る。これでロシアとの海洋資源共有が保たれよう。また、エネルギー資源は開発中のウラジオストクから輸入すること前提にすれば、北方四島は、直ちに返還されると思われる。我々も彼等も欲しいものは島や海域ではなく、資源と紙幣である。
先にも述べた通り和平が軸となると、軍事予算を大幅に削減できる。軍事費は国の経済成長を圧迫し失速させる。これだけは言える。私たちは、無数の火花のために労働し税金を納めているのではない。それほどまでに火花を見たり火薬の匂いを欲するのであるなら、裏庭で線香花火でもやればよい。誰も止めないであろう。不満があるなら、受け入れてくれる社会主義の国へ亡命もできる。これも誰も止めない。そして太平洋・アジア領域の基地も縮小し、普天間をはじめとする沖縄軍事基地は、撤退してもなんら差し障りはない。争い事のない平和な国々で武器は要らない。我々が生きてゆく上で最低限に必要な物は、水と塩と食料である。武器から泉は湧いてこないし、基地で稲穂が実ることはない。
いざという時の窮地には、相談役にEUを迎え入れ、助言を請うこともで出来よう。また、それにより更にEUとの親交を深める。
このように話が進行すると、国名にこだわりを持つ日系アメリカ人が出現し、異論はを唱えるかもしれないが、選挙が定期的に行われることを熟慮して、言い換えれば有権者に媚びて、「USAJ」に変更しよう。アルファベットを一文字追加するだけである。
誤解の無いように断っておくが、私はアメリカという国に、かなりの尺度で好意的である。三度グリーンカードの抽選に応募し、三度ハズレを引いた口である。日本国内と同様に、好きな時に好きなだけアメリカに滞在出来れば、と思う。が、きな臭いのは御免である。
その前に、アメリカが合邦に「うん」と言うであろうか。

と、7.5畳のダイニングキッチンの片隅にて、スマートフォン片手にタイピング。
嗚呼、養老先生の「バカァー!」池田先生の「アホォー!」とこちらへ叫ぶ声が、幻聴が響く。この部屋の壁の向こうから、、、。ん?
















10/12/2012

【Oct/11/2012】食は食だが、食よりも


今朝は5時10分に起床。
今日食べたもの。
どら焼き、ひとつ。
「高尾」という品種の葡萄、十数粒。
ビタミンCの錠剤、8錠。
これから4錠追加するところ。
計12錠で、ビタミンC2000mg摂取。
以上である。
葡萄でお腹いっぱい。
夕食を食べそびれてしまった。
現在の時刻 23時47分。
コーヒーを十数杯。
朝食は食べないの。
長年の習慣で、食べることができない。
カラダが受けつけない。
昼食も殆ど食べないの。
クッキーや菓子類で済ませてしまう。
夕食は人並に。
ご飯は気が緩んだ時以外は、飯碗に一膳と決めている。

外出時は例外で、朝食や昼食を食べる場合もある。
特に健康に気を付けてはいないが、塩分は極力控えている。
美容クリームは敏感肌用で、製薬会社が製造している。
洗顔も洗身も、植物性固形石鹸を愛用。
真夏以外は、お風呂上がりでも温かいコーヒーを飲む。

食材ではキャビアもトリュフもからすみも好物。
合鴨と車海老と雲丹と山菜と野菜が大好き。
ここ数年では、北軽井沢で食した、採れたてのレタスのみずみずしい食感に涙した。

好きになれないものは、紙皿とプラスチック製フォークと天板が小さいテーブル、飲食店でだらだらと流れる音楽。それから、全席禁煙のカフェ。
尤も、これら交交に至っても、食べることができないが。











10/08/2012

【Oct/09/2012】New Face


押入れのあのカボチャの置物は、去年は一人で飾られた。
頭の中に乾燥した玉蜀黍と、枝付きの綿花を入れて、華奢に振る舞っていた。
でもね。
今年は仲間を増やした。
オレンジ色のカボチャ型の陶器製ランタンを2つ。
これは目と口の他に、オデコに星型がくり抜かれ、キャンドルを灯すと星も浮かび上がる。
ハロウィンのカボチャのランタンは、死者の善霊が家へ帰る目印なのに、やっと地上の家へ着いたという時に、星が見えるとは、天も地もありゃしない。
しかし、悪霊は天だと思い込んで去って行くのか。
もう一種類も陶器製のミニカボチャ。
これは4つ。
合成樹脂で固めたミイラの置物も。
ポップなミイラの足元に骸骨が散らしてあり、リアル感たっぷりで、それが自然だった。
骸は骸。
今生きている人も、一皮剥けばみんなが骨。
茶化してはいけない。

あちらでのハロウィンのお祭りは、仮装パーティーで暫し浮世を忘れる。日本のお盆は厳かな側面もあるけれど、あちらもこちらも同じ事を考えてる。
国境なんかなくしちゃえ。
ジャックが彷徨う邪魔になる。









【Oct/07/2012】一度に秋が訪れた


昨夜、近所まで買い物に出掛けると、秋竜胆の花や栗や松茸や梨や鮭や。
一度に秋が訪れた。
なんと気の早いこと。
花屋の店先にはハロウィンの大きなオレンジ色のカボチャ。
なんと気の早いこと。
私はまだ、半袖のTシャツで過ごしてますが。
日中はまだ、除湿モードでエアコン入れてますが。
一時期は異常気象なんて言葉を頻繁に耳にしたが、毎年のこと。
別に異常でもなくなった。
押入れの奥に、陶器製の例のカボチャの置物の横顔。
三角形の目元と上がった口角がチラリと見える。
憎らしくて愛らしい。
早く飾ってとうずうずしてる。

ペーズリー柄の細かい刺繍が付いた黒いマフラーを買った。
なんと気の早いこと。


10/06/2012

【Oct/06/2012】日記帳


日記帳に日記を付けていたことも短期間あるにはあったが、日記は毎日続けるから日記であるといった固定概念に縛られてしまい、それが沈み込む要因となっては、明るくもなく爽やかでもない当たり障りのないことをひたすらに書き殴っていたものだった。
その日記帳はハードカバーで、赤をベースにしたチェックの布が貼ってあり、短い帯には小さな鍵が付いていた。
ページの断面は金色に施され、うやうやしく表紙を開く動作で、書こうとする気持ちが一瞬にしてトーンダウンした遠い昔。
日記帳を賞賛し批判する材料と言えば、持ち主以外誰も読まない読ませないことであるが、誰も読まない安心感など何処にも存在しない訳で、ならばいっそ生活の一部を思い切って公開しようと、一大決心である。
軽く自己紹介を。
出生は東京都。最近のもっぱらの趣味は放心状態で窓の外をぼーっと眺める、これは非常に精神衛生に良い。ではこのブログは趣味ではないのかと問われると、セカンドラインとしての趣味にしては英気を養うどころか、実験に近いと言えよう。
闘争心ゼロ。
子供がひとり。
ネット上の世界は、もう一つの家がある感覚。
さて殆ど何もないこの家を、どの様なインテリアにコーディネートしようか。


はじめに


暫くブログは書かなかった。
以前書いたブログは全て削除した。
性格が飽き性である。
基本的に直ぐに飽きる。
が、珍しく、このところ文章を書くことに飽きない。
言葉には限界があって、この中の何かを伝えたくても伝えきれない。
長く綴ろうと短く語ろうと、何を書いても、いつもこの中の何かを、この実態の無い白く浮かび上がる画面に全て移乗させた試しはない。
それでも、文字と遊ぶことが愉悦に感じてしまうのは、おそらく、私の言葉が未だに未完成であるからだと思う。
もしもこの先も、ブログは公開日記としての佇まいを保持してよいのであれば、途切れ途切れに日記を書こうと思う。
その日の出来事、それらによる思い、考え、感じたことを包み隠さず話そう。
私の生活の断片は、漸く眠りから目覚めた。