10/23/2012

【Oct/25/2012】新米とマルメロ


「新米」のシールが、どの米袋にもべったり貼り付けてある。新米の季節である。

母の里親であり、私にとっては祖父にあたる人は、出身が秋田だった。母は里親の従兄の長男と結婚し、私が生まれたので、祖父とはぐるっと遠回りで血縁者。ちょっと複雑。
祖父の実家は米作りの農家で、祖父の名前には、漢数字の「三」が使われての通りの三男坊。上に兄が二人、下に弟が一人妹が一人。本家と農業を継ぐのは長男で、旧制中学までは辛うじて行かせてもらえたが、「三男は好きにして良し」と、そこで学費の援助は打ち切られたという。
ほどなく祖父は上京し、後に大学の夜学に通いながら、昼間は測量事務所で働いた。何故か「地図」に魅了されたそうな。三男への仕送りは一切なし。こう話すといかにも苦労人に思うかも知れないが、本人は意外とさっぱりしていた。その年によって豊作不作の、農業の大変さが身に染みていたらしい。
祖父は、上京後から他界するまでの60年近くを、東京で過ごした。何年経っても秋田訛りが抜けなくて、「お寿司」が「おすす」に聞こえた。「獅舞い」は「すすまい」。正確には「し」と「す」の間の微妙な発音。お国訛りとは裏腹に、精微な筆跡の持ち主だった。なんの当てもなく上京し、電車で銀座から1時間もかからない場所に、お風呂付きの家を建てたことに多少なりとも自負があったようだったが、日常では清貧であることを好んだ。
肌寒い朝、木製の建て付けの悪くなったガタつく雨戸を開け、鼻腔の奥に澄んで冷たい空気やら金木犀の香りやらが入り混じる季節になると、毎年祖父母宅へ秋田の本家の親類より、荷札が付いた小包が届いた。電話かかってくるから、祖父母宅へ向かう。
箱を開けると、中身はいつも同じで、秋田の新米と地鶏とマルメロの缶詰。「もろこし」という、小豆粉と砂糖を固めた、長方形のモザイクタイル状のお菓子が入っていることもあった。祖父は下戸の甘党で付き合いが悪く、上司におべんちゃらを言うタイプでもなく、あまり出世できなかった。処世術に関心がなかったのである。
炊き上がった新米はツヤツヤで、粒がシャッキリと立っていて、塩むすびで十分満足し得る姿と香りであるけれど、直ぐに木枯らしでいい塩梅になるまでつく。湯気で祖母の眼鏡が薄っすらと曇る。あーっ!炊きたてのご飯に何するの?最初にその場に立ち会った時は、祖母が遂に血迷ったか、と思った。何のことはない秋田の郷土料理、「きりたんぽ鍋」の仕込みである。ついたご飯を専用の棒の周りに形作り、その表面を軽く焦げ色が付くまで網の上で炙る。
すき焼きであれば牛肉、寄せ鍋であれば魚介類。きりたんぽ鍋はお米が主役。お醤油仕立ての汁の中に、地鶏と茸と牛蒡など根菜や長葱、斜めに切ったきりたんぽを入れる。
その間の台所は女の園で男子禁制。包丁でまな板を叩く音や、女たちの笑い声。祖父は隣の茶の間でテレビを観たり、マルメロの缶詰を懐かしそうに眺めて過ごす。無駄なことは話さない口数の少ない人だった。尤も基本的に「男子たるもの台所に入るべからず」の人でもあった。「新潟のお米も美味しいけれど」と前置きを付けて「秋田のお米が一番です」。郷土愛溢れる祖父の言葉が、祖母と私の笑いを誘う。祖父は私に対して「です・ます調」で話した。
祖母の弟が、羽田から少し西へ行った所で町工場を営んでいて、弟夫婦を招待することもあった。
郷土料理を囲んでの賑やかな食卓。
デザートにマルメロと、もろこし。

先日、八百屋さんの目立たない場所に、「かりん」が置かれていた。知らないとは恐ろしや、「マルメロ」が「かりん」だと知ったのは、ほんの数年前のことである。だが「マルメロ」の響きの方が、私にはフィットする。マロン、マカロン、マカロニ、マロニエ、マルメロ、ほらね、いい感じ。
今日はこれから、秋田の「すんまい」を買いに行く。


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