12/28/2012

【Dec/28/2012】音読する力






もうお気付きかと思いますが私は既に別の道を歩み始めていますところなのでかと言って私の日常にこれといった変化はこれからも期待していませんし少しの期待があってもすり抜けて行く程度ですし何が言いたいかと申しますともうね時間がどんどん進んじゃってるってことで室内で過ごすのがホントに好きで止められませんからまあこうゆう時こそと籠りに籠って静かに静かに暮らしておりましたがここにきてピンと閃くものがございましてこれは楽しそうだと結論づいた結果からこれからのまあ大袈裟に言うと目標と言いますか目的はともかく目標がありますと人から見ればなあーんだそんなことかという目標でも有ると無いでは本人にとっては大違いであるからしての目標を見つけてしまった次第なのでございますがその目標を達成すべくにあたっての計画に来年は身も心も捧げる勢いは白々と夜が明ける予感の到来とも言うべく着実に手応えを感じそしてまたそれはーーー私の個人的なことはまどうでもいっかなという。


今年最後のブログとなります。
2012、このような私にお付き合い下さいまして、ありがとうございました。
どうぞ良いお年をお迎え下さいませ。

I Love You ,I Love You,I Love You.
Marilyn R









12/27/2012

【Dec/27/2012】のし餅の角





お正月用の四角いお餅。大きな一枚のお餅。「のし餅」と呼びます。お若い方では、恐らくご存知ない方もいらっしゃるかも知れません。四角いお餅は「サトウの切り餅」。それも有りでしょう。また逆に、お餅つきを楽しむ方もいらっしゃることでしょう。
年末になると、予め注文しておいた「のし餅」が配達されました。もう随分と前の出来事になりました。
今でも近くの和菓子店では、注文でお餅を作ってくれます。のし餅であろうと鏡餅であろうと縁起物の紅白餅であろうと。しかし残業なことに、今年も我が家は「サトウの切り餅」。のし餅では、量が多くて食べきれないのです。お餅は冷凍保存できますが、やはり味が落ちます。
何のことはない糯米一升分のお餅を大きく長方形にのしたお餅。
配達時は、包丁を入れるにはお餅はまだぷにゅぷにゅと柔らかく、1日ぐらい落ち着かせてから。一個のサイズを、縦横の長さをきっちりと寸分狂わずに切る作業にしたくても、やはりすこーし狂います。切り口の角を直角に切ろうとしても、タイミングが早ければ柔らかくて角が曖昧になったり、遅ければ固まって包丁が入りづらい。この作業は年に一度きり。ですから、思うように上達しません。
その作業が始まると、いよいよ年末はラストスパート。鏡餅も一緒に届きます。

お餅が手軽に年中いただけるようになり、それはそれで、いつでもお汁粉やいそべ餅が身近にあることに、不満はひとつもないのですけれど。けれども。








12/24/2012

【Dec/24/2012】



http://m.youtube.com/watch?v=2kfQdolw0DA





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12/14/2012

或る福島六郎さん(仮名)の話【朝ぼらけ新聞12月14日付】



投票日も2日後と迫り、師走の街頭にて道行く有権者に衆院選について話を聞いた。
『選挙カーが入れ替わり立ち替わりこの付近を通るんだ。枯れかけたうぐいす嬢の声が、何やら喫緊の出来事を知らせるかの如くね。晴天の昼下がり、アレをやられるとねぇ。
今回の選挙はね、争点がバラバラなんだよ。だってね、原発、雇用、TPP、増税、憲法改正、核、社会保障、経済成長、赤字国債、米中韓など国際問題、沖縄米軍基地移設問題など細かく挙げるとキリがない。最近じゃ人権に触れることまで。あれにはかなりピキッと神経を逆なでられたよ。文体からしてお粗末な草案だと言われてるけど、確かにそうなんだけど、「本性見たり」の感が否めないなあ。権力者が権力を思うがままに振るおうとする時、何が邪魔って国民の「基本的人権」が、何よりも邪魔だからね。もし草案が通っちゃったら、政府にとって不利益な言動を行った人は、つかまっちゃうことになるかもね。ああ怖い。なんだか軍国主義の大日本帝国みたいだなあ。その頃僕はまだ生まれてないけどさ。で、「自由と権利には責任と義務が」とかなんとか書かれてあったけれど、「責任と義務」が一括りなんだって。法律はランチセットじゃないよーっだ、てね。そうそう、ランチセットのウサギの餌みたいな形だけのサラダ、どうにか改善してくれないかなあ。いつも、こんなまずいサラダは要らないって思うんだよね。賛同してくれる「脱サラダ」の仲間を集めて日比谷公園一帯にシュプレヒコールの渦を撒き散らそうかな?海外メディアなんかを一斉に招待するの。これは僕らにとって重要事項だし、日本中の国民が各地でデモに参加してさ、そのうちデモに明け暮れて、だあーれも働かなくなっちゃうの。え?大丈夫だよ。我が国では、国民は集会と表現の自由が法律で保障されてるんだ。それも平等にね。
それでね、僕は六人兄弟なんだけど、上から4番目までのお兄さんたちは事故で大怪我しちゃったの。僕は末っ子で、あの事故の時は現場から少し離れていたから、なんとか助かったんだ。今はクリスマスバケーション中なんだよ。あ、よく話し方なんかや中身が幼稚だって言われるけど、これでも33歳の独身さ。あはは。働いてる会社の会長や社長とかの真似してたら、こんなふうになっちゃったの。あはは。やっぱり上司に合わせないと、社内で生き残れないこともあるでしょ?でしょ?月給取りのつらいところだよね、うん。それにしても、いつまでバケーションなのか、本社から聞かされてないんだよ。だからいっそ転職したいと思ってるんだけど。バケーションと言っても自宅待機でね、暇で暇でしょうがないの。
それでね、今日僕が話したかったことはね、誰に、どこの政党に投票しようか決めかねてるってことなんだよ。僕は普段は無口で通ってるけど、内に秘めたる思いは、核爆弾なんて比べ物にならないぐらい熱いものがあるんだなあ。でもこれは、僕ら兄弟のDNAに組み込まれているから仕方がないの。だから僕を怒らせちゃ、後のことは知らないよ。だって誰にも直ぐには止められないんだからね。
それにしても、こんなに多額の赤字国債という国の負債を、どうやって返すんだろう。返すには稼がなくちゃいけないでしょ?じゃいったい何をして稼ぐの?輪転機をぐるぐる回しても、最後には紙屑になっちゃうのがオチだしねぇ。どこかの党じゃ、インフレのイメージに転換させるって言ってたけど、今年10月の金融緩和を境に金融緩和に見切りをつけないなんて、よほどの輪転機ストーカーなんだね。きっといい思いをして未練タラタラなんだよ。そうかなあ、輪転機のボディラインは、あんまりいいとは思わないけどなあ。でも無価値の札束は、子どもの銀行ごっこにいいかもね。これでオレオレ詐欺も居なくなっちゃって、ご高齢の方も安心だよ。で、実は僕はTPPにはなんとなく賛成なの。農家の人たちの暮らしはを守るためにも。矛盾してるように思われるかな?みんなも知ってるでしょうけれど、お米にしたって野菜やお肉にしたって、日本産が他国より品質管理が徹底してるのね。他国の遺伝子組み換えや農薬を濫用した農作物を好む人は少ないと思うよ。でね、日本の総人口が膨らむこれから数十年をどう凌ぐか、じゃないかな。その後は減少傾向だから、今みたいに沢山の食べ物は必要無くなるし。現在だって我が国の自給自足率では、到底国民が食べてはいけないでしょ?そして自由貿易は安く買うこともできるけど、安く売りつけることも出来るのね。烏骨鶏いや違う、あ、烏骨鶏の卵は美味しいよでも違う、えーとー滑稽関係これも違う、なんだっけ?まあそういった関係でお互いがお客さんになるんだよ。いくらなんでもお客さんに喧嘩を売る商人宿は、まずいないでしょ?だって商品は、売れて商品残ればただの在庫、だから仲良し。中国とアメリカが思想から何から違うのに、どうにかこうにか緊張感を解しながらやってこれたのは、今のところどちらにとってもお客さんだからなんだよ。物はね、国が安定してないと先行きが不安で買おうとする意欲が萎えちゃうんだ。これからいざこざが勃発しようって時に、優雅にショッピングを楽しもうとするほど、人はまだそこまで落ちちゃいないのね。だから仲良しじゃないとダメなの。それにね、営業時間や定休日や値段が決まってない不安定なお店から買いたいとは、お客さんは思わないの。あ、電力会社が安定供給だって騒ぎ立ててるけど騙されちゃいけないよ。あれは料金値上の口実なんだ。電気の在庫なんて元々ないんだから。ひと冬保つ沢庵漬けみたいに作り置きができないんだよ。元々作り置きがないのに安定した供給なんてこと言うの、変でしょ?まやかしだよね。あーなんだか今日の僕、喋り過ぎだなあ。これってお喋りの安定供給だなあ。
と、僕が柄にもなく経済の話をしたのはね、この国の雇用状況に少し腹を立てているからなの。僕の知人のお子さんがね、某コンビニでバイトして、「田楽マスター」のバッジ欲しいほどだって言うほどおでんを作りまくってたんだけど、時々勤務時間後、即ち勤退を登録した後に、オーナーから1時間近くもネチネチお説教されたり、毎回店長から「あんたバカなんじゃないの‼」って罵倒され続けてね、30代のオーナーが15歳に業務上の嫌がらせをしたりするんだって。いい大人が未成年者に挑発的なストレスをぶつけるんだって。これっていくら就職難といっても、本来健全なイメージのコンビニでさえ労働者の足元を見るような態度じゃない?だから僕は「人のこころはお金じゃ買えないぞっ」と受け売りの言葉なんかでカッコつけてみたんだけどね。その子はバイトを辞めちゃって、そのオーナーは、みんなが欲しいものはお金だけだ、と鷹を括っていたんだよ。辞めて良かったよね。そりゃお金はあればあるだけいいけどね、あなたも年末ジャンボ宝くじ買ってどうせ末尾一桁の当選だとわかっていてもニヤニヤしたりするでしょ?増税になったら今より生活が圧迫されることが予想されるし。国にしても支出ばかりが増える一方で、社会保障に予算が回らなくて、やむなく増税なんだって。出生率が減少傾向だから納税者も減少するのね。ま、一人が毎月一億円納税する社会に持ち上げれば問題はないかな。あははは、まさかそれは。買い物は消費税増税が導入前に、だよね。その後の景気指数のことなんてさ、あはは、個人には知ったことか、だよね。
そこで僕は思うんだよ。今回の選挙のキーワードは「お金」だって。立候補者はあれがよくないこれがよくない、こうしようああしようと言ってるけど、そのどれにも費用がかかるんだ。改憲だって、もし国防軍となったらその維持費は自衛隊以上の予算を組まなくては国のとしての体裁が整わなくなると思うよ。まあ、それが狙いなのかな?東北の復興もちっとも進んでないのに、まだまだ仮設住宅で暮らして、離散家族がいっぱい居るのに隊だの軍だの喧しい。なのに「第一義的には子どもは家庭で育てる」って、よく言うよ。
だけどね、僕は思うんだよ。戦後の首都東京の焼け野原や広島長崎から、こんなふうに経済成長を成し遂げた国も珍しいんじゃないかなって。ダメージが大きかったから、元に戻そう、いやもっと豊かになろうってそりゃあもう急いで走って来たんだけど、これからみんな何処に向かいたいのかなあ、そして何処に向かおうとしてるのかなあって。政治家のみなさんは、有権者と有権者の子どもや孫が何を求めているのかホントにわかっているのかな?僕は今、あれはいらないこれはいらないと思うけど、でも何が欲しいのかと訊かれたら、よくわからないな。うちには洗濯機もあるし、冷蔵庫には食べ物がぎっしり、箪笥から服がはみ出しそうだし、椅子やテーブルだってあるんだよ。すごいでしょ?公約なんか読んでると、好い事ばかり書いてあるけど、何て言うんだろ、お金で解決することのその先が明るくないの。どんよりしちゃってる。だから僕はね、冬の快晴のピッカピカの空の下で、来年のことを考えたりするの。これまで齷齪働いてきたのに、ここにきて誰に投票していいか決まらないなんていう社会になるとは、予測さえしなかったよ。もうね、のんびり暮らしたいんだ。立候補者やメディアがこれでもかって不安を煽るでしょ?政府の発言や世の中の情報に一喜一憂するのは疲れちゃったの。この国は過去に内乱もあれば戦争もあったけど、この国が船のように海底に沈んでしまったり、或る日突然、北海道から沖縄まで消滅してしまうことは殆ど考えられないよね?何をそんなに焦っているんだろう。まあ勿論、内乱や戦争なんて無駄なことには反対だけど。
あ、記者さん、この取材を記事にする時は、僕の名前を仮名にして下さいね。もー聞き上手なんだから、うっかり勤務先に触れることまで話しちゃった。え?社会部長さんなの?どーりで変顔、あ、いえ。
じゃ、お話聞いてくれてありがとう、これで失礼します。僕これから「モテモテ恋愛コース」のセラピーを受けに行くの。やっぱこんな僕じゃ、一生結婚できないよなあ。なんたって今じゃ日本一の嫌われ者だからね。』と、嬉しそうに話した。


※このお話はフィクションであり、実在する個人、団体等とは一切関係ありません。







12/05/2012

【Dec/05/2012】玄関とサンタクロース

この年末、「年末」なんて言葉を使うような時期に突入してしまった。本来、クリスマスという行事に向かって賑賑しくなる季節なのだが、都知事選、衆院選が凌駕してしまった気配が無きにしも非ず。
昨年は大震災があり、とてもじゃないがクリスマスを迎える気持ちには至らなかった。今年は党や立候補者が暗躍に走り回っている間にも、サンタクロースの親たちは子供を想うことであろう。それにしても子供の楽しみが、選挙に掻き消されてしまいそうだ。勿論、子供の未来を左右する総選挙には注視しながらではあるが。そういえば、と一昨年から仕舞いっぱなしになっていたクリスマスリースがあることを思い出し、遅ればせがら玄関のドアに飾る。リースはゴールドに着色された蔓に、赤くて細いベルベットのリボンを全体に巻き付け、上部に木の実の束をあしらった極めてシンプルなデザイン。数年前の自作である。これでサンタクロースも迷うことがないであろうか。が、うちの娘は高校生で、もうサンタクロースは我が家へ来訪しない。嬉しいやら寂しいやら、じつに嬉しい。
日本の玄関は不思議な空間だ。玄関ひとつで外から完全にシャットアウトされる。「玄関先で失礼します」や「土足で踏みにじる」などの言葉にもあるが、玄関はその家々と外との境界線の役割をしっかり果たしている。そんなことは周知している、と非難されそうであるが、よくお考えいただきたい。世界では家の中に入る際、靴を脱いで上がる生活習慣がある民族のほうが少ないのである。私たちは「家の中に入る」のではなく、「家に上がる」のである。先程私はあえて「うちの娘」と言った。これが他国では「私の娘」という確率が高くなると思われる。「うちの子」「うちの母」「うちの学校」「うちの会社」、毎日頻繁に耳にする。「うち」があるのであるから、対比して「そと」が必ず存在する。
以前、著者が外国人の何かの本の中に、「日本は欧米化しているといわれるが、一歩建物の中へ入ると、そこにはどこを見ても日本がある、云々」と書かれていた。日本に何本ものビルが建とうと、日本人が近代的で洋風の生活を営もうと中は、「日本だらけで、日本で埋め尽くされている」と明言しているのだ。その理由についての明確な答えは書かれていなかったが、私は日本の建物の構造や間取りをすぐに思い浮かべてしまった。「玄関」という空間について。
NY滞在中は、最初の数カ月は靴をはいたままで室内にて過ごしてはみたものの、そのような習慣で育っていないせいであろう、やはり足が疲れる。室内が汚れやすくなる。そこで即「土足厳禁」とした。靴を履いて室内を過ごす習慣の友人が訪ねてきた時は、その旨を一応は話し、後は友人に任せた。凍りつく冬場、編上げのロングブーツを履いている友人に「どうしても靴を脱いで」と強要する訳にもいかない、と思った。あちらでは、よく家や部屋を訪ねたり訪ねられたりと、かなり気軽に家々を互いに訪問し合ったが、帰国後には、そう簡単に訪ねる訪ねられるといった行動が減少してしまった。これはひとえに玄関という特別の空間が、そとからの人を容易に家の中へは入れない、もしくは入れないということに起因しているのではないか、と考えた。招待した客人に対して手放しで歓待し、「ささ、どうぞどうぞお上がり下さい」と捲し立てるように言ったり、言われたり。そこまで言わなくても招待した(された)のだから、当然の如く「家に上げる(上がる)」のだが、アメリカでここまで仰々しくしてドアの向こう側へ入ることはなかった。どのような玄関にせよ、日本の「玄関」という空間はある意味で神聖な場所ではないのか。これはどちらが善い悪い、優る劣るではなく、そのような生活習慣が齎した結果として、私たちは「そと」から「うち」へ移動することにより、別の空間ないしは世界観を創り出すのではないか、と。もう随分と前のことだが、あるアメリカ人が、「私たちは季節の風景を愉しもうと思えばその風景があるところへ出向くが、日本では季節を部屋の中へ取り込もうとする」と話した。その時の私にすれば、「何を言う、旅行もするぞっ」と反論したい気持ちで、が、「季節を部屋の中へ取り込む」ことには何の疑問も湧かなかった。「そうだけど、それが何か?」。ところが、そのアメリカ人は、枝ものの花木をわざわざ活けては床の間に飾る習慣に、疑問を持っていたようだったのである。言われて然り。休日に郊外へ出向くとアメリカのお父さんたちは、めんどくさそうに庭で芝刈り機を動かしている。庭はどちらかというと家屋からの延長で、天井のないもう一部屋。バーベキューを楽しんだりバスケットボールのゴールが設置されていたり。塀や門もなく、公共の「そと」と私的な「うち」がグラデーションのように繋がっている。だから室内からは平坦な芝の目を眺めるしかない。日本庭園は広大な敷地があれば散策したりと別ではあるが、一般家庭では大概の場合、庭の景色を部屋の中へ引き込もうとする。そして枝ものの花木は、活けて楽し飾って美しである。
茶室では玄関に相当する「にじり口」という得体のしれない扉から室内に上がる。異空間への入口である。が、中には季節の掛軸や花を飾り、機密性ある空間のここでも「そと」を意識し「うち」へ引き込んでいる。
レストランではアメリカ人は、広々とした中央の席へ座りたがり、日本人は隅の席へ座りたがる。中央の席は開放感と主賓を表し、壁沿いの隅の席は「うち」と「そと」の境界を作る範囲が狭く、それに適し、また同時に「そと」の空間を効率のよい視野で取り入れ易い。
ところで、選挙は政治家にとって「玄関」である。各政党の「うち」で何が起きているか「そと」の有権者には知る由もないが、中央の席に座っても「そと」を取り入れるのであろうか。
娘が5歳の時だった。クリスマスの朝、プレゼントを前に一通り喜んだ後、ポツリと一言。「サンタさんはブーツを脱いでお部屋に上がったの?」。無論、親は部屋に上がる時は靴を脱ぐ。クリスマスが近い。選挙後の政治家のみなさんは、まさかこの国の子どもの将来を土足で踏みにじることはないであろうが、さて。