3/30/2013

真っ当な金銭感覚による立ち話




「あら、奥様、その左手に光る指輪、もしかしてダイヤじゃなくて?」
「まっ、奥様も目敏いでございますわ。ええ、宅の主人が20年前にわたくしに買ってくれた200万円のてふぁにいなんでございますのよざます、ほっほっほっ」
「やっぱり奥様はお目が高くていらっしゃって、さすがでございますわ、ほっほっほっ」
「あら?...奥様の口元の左手に光るその指輪...」
「あ、これはほんの安物ざます。ほっほっほっほっ。40年以上前のたかがほんの500万円のかるちえざますわ。宅の主人が株で儲けて衝動買いしたざますざますわ、ほーほっほっ」
「まあすごい!衝動買いとは。やはり奥様はやることが大胆でらして」
「いえいえ夜はもっと、あ、いえ、ところで奥様、今日の八百屋さんの広告ご覧になられましたざます?」
「いいえ、まだざますけれど」
「今日はなんと大根が税込み一本10万円ざますのよ!」
「まあ!なんて安いざますわ!わたくし昨日10万飛んで1円で買ったばかりざますわざます、悔しいざますわ!」
「ホントに毎日の節約倹約生活も、年金支給年齢が80歳からになったからざます。それに20年前のアベノミクスから続くインフレで、物価は当時より1000倍に跳ね上がったざますざます。消費税も20%に。なのに年金支給額は10年前から据え置きざますわねぇ...」
「ホントにねぇ、気が滅入りますわねぇ...。あ、奥様、たまには気晴らしにランチでもご一緒にいかがざます?隣町の駅前にフレンチの新しいお店ができたざます。ホテル上がりのオーナーシェフが腕を振るうって、評判ざますわよ♪」
「そうざますわねっ、美味しいものでもいただいて、明るい気分になるざますざますわっ、あ、でも...」
「奥様、ご心配には及びませんざますわ。なあーに、デザート付きでたかがほんの500万円ざます」
「まあ!お安いざますわ!宅の主人の定年退職金の、ほんの10分の1ざますわねっ!」


Mar/30/2013





3/27/2013

【Mar/27/2013】


桜咲き、サクラチル



春を迎える心構えとして、坂口安吾の「桜の森の満開の下」を読む。(http://www.aozora.gr.jp/cards/001095/card42618.html 青空文庫)
観桜にはそれぞれの快楽があろうが、坂口安吾はこともあろうに冒頭から宴会を真っ向から否定する。
そして「人間がいない桜の木の下は、怖い」と語り始める。
今年は春の訪れが早く、東京では桜の花が満開との知らせを受けた。「景気が上向き」という。お花見を楽しむ人々で賑わいを見せる様子が各地から届く。
が、宴会も悪くはないが、できれば桜はひっそりと眺めていたい。安吾に同調していうのであれば、あの「怖さ」がいい。裏返すと、「怖くない桜」は二流三流の桜である。どこまでの怖さを堪能できるかで、桜の花の真価が問われると断言してもいい。この「怖さ」については、ツイッターで拡散され@マーク付きの野次が束になって飛んで来ようが、引かない、曲げない、怯まない。
よくよく考えてみよう。
私たちの国では、桜を特別扱いにしてはいませんか。
春の枝に花を滲ませる樹木は、桜だけではあるまい。梅、沈丁花、木蓮、こぶし、ハナミズキ、ミモザなど。椿はひと冬の間、あれほどまでに献身的に花を絶やさず咲かしても、私たちの桜の花に対する思い入れの半分にも満たないであろう。職場であれば、なによっ桜ちゃんばっかり、と同僚に陰口を囁かれ、学校であればモンスターペアレントが、うちの沈丁花ちゃんが地味で目立たないから桜ちゃんを贔屓目に見て、とお叱りの雪崩に埋もれるであろう。長い歴史を繙いてみても、ご先祖様から末裔まで、桜一色に染まる危ない橋を凝りもせず、幾つも渡り続けているのだ。
それでも私たちは桜の開花をひたすらに待ちわびる習慣が染み付いている。開花すればするで狂騒に明け暮れる。これはもうDNAに組み込まれていると言ってもいい。サルからホモサピエンスに進化した際、私たちの脳内に桜を過剰に感知する機能が、知らぬ間にどこかに潜んだのか。一体これを、どのように解釈すれば好いのであろう。
満開の桜の木の下で頭上を仰ぎ見、枝枝が折り重なり花々の天蓋に空を阻まれた時、ここが何処なのか、何時なのか、異空間に圧倒されては叫びながら走りだしたくなる時がある。背筋がゾクゾクと寒くなる。その環境が一人であれば、尚のことだ。重要文化財指定の建物の中で偶然にも貸切り状態に置かれた場面や、廃墟を見学した際にも同じような感覚に襲われる。美術館や画廊にて、張り詰めた意識を発する作品を鑑賞しても背筋が寒くなる。そしてその感覚には何故か中毒性があり、その感覚を得るには一瞬の時間を切り取らなければならない。美意識の限界を感じながら、常軌を逸する境界線の内側に足を踏み留めるのである。「華美なるものに対して畏怖の念を抱く」のだ。
が、これだけは言える。「畏怖の念を抱くものが美しい」と解釈することは、大いなる誤解も甚だしいことである。









3/16/2013

不健康オタクは胃が弱い




「今日の夕食は数ヶ月ぶりかで牛丼を作ったのだよ、あはは。何故に牛丼かと言うと、レパートリーの中で牛丼はあさってのことを考えながらでも作れるんだネ。そして牛肉がお買い得品だったからなんだな。輸入牛肉なんだな。まずい。あはは、腕じゃない、肉である。
もし肉饂飩を作るとして、黒毛和牛の霜降り肉を惜しげも無くどっさり使うと、みんな饂飩に足向けて眠れなくなるぞ。てか饂飩が居る方角はどっちだ?
いつだったか年号も忘れちゃった昔、アメリカが我が国に牛肉とオレンジを買え買えと詰め寄ったことがあったのネ。そんときゃ、あたしゃ牛肉大好き乙女でネ、いまでも乙女だけど。日本製の自動車がアメリカで売れに売れて、日本はあーしたどーしたとかゆーのが2位で、1位に追い付くんじゃないかって、だからアメリカ産の農産物を買わせて1位を守ろうとしたらしいの。あーなんてノスタルジアな、は・な・し。瞳がうるうるしちゃう...。
ところで、『TPP』ってなんなの?『参加表明』したって、さっき朝日デジタルに書いてあったわ。いい大人は新聞ぐらいは読まなきゃネ。
安倍さんの記者会見とは真逆の、噂だと「国民皆保険」が危うくなるかもなんて。前にも話したけれど、保険に加入できない人がいるようになっちゃ、我が国はおしまいよ。だって、IQ178の少年が病気になっても治療を受けられない、なんてことになったら、果ては我が国の多大なる損失となるでしょうに。未来のノーベル賞候補が、ばたばたと倒れても放置されてしまうとだな。人道的にも治療と手厚い看護を施すのが筋ではあるが、IQに関わらず、乳幼児青少年から高齢者まで男女ゲイ問わず、治療と手厚い看護は不可欠なんだな。どないしょー。
そのように考えると健康維持には食生活に留意して過ごさなくては...。政府は、私たち国民の食の安全を守ることができるのかしら。イエス キリストがそうしたように、全国民のお腹を満たすことができるのかしら。
安倍さんが某国女王の小姑が言ったように『お米が無ければ自動車を食べたらいいじゃないか』と言わないことを祈ります。」






3/09/2013

【Mar/09/2012】





解せぬ


「もうすぐ2年を迎える」と、私もみなさんも、きっと考えることは一緒。

今日は「電力」について。
私は電気や原子力の専門家ではありませんし、経済学もさっぱり。政治なんて遥か彼方の雲の上。
アンケート用紙の職業欄では、求職中ですけれど「主婦」にマルをつけるでしょう私が、どうしても腑に落ちないことがあります。
それは「原発」のこと。
結論から述べますと、「原発はいらない」。
ところが昨年末に安倍政権に交代してから、どうにもこうにも雲行きが怪しい。
原発を推進して、電力を湧水みたいに提供したいのだとか。
そりゃあね、電力や井戸が枯れると生活に支障がありますし、ましてや手でお洗濯するなんてもってのほか。
それに「ひび」「あかぎれ」は、もうすでに死語で、娘に話してもわかりません。

私たちの国の人口は、この調子で進むと、確実に減少します。Googleで「日本人 平均出生率」で検索しますと、ざっと見てこの数年は1.39人。
もしも将来、この「1.39人」で生まれた約半数の女性が全員「子供を産まないわ」と言い出したら、大変なことに。
日本人は絶滅危惧種に指定される...それはまさかのまさか。
未来で必要とする総電力量は、現在と同量なのかしら。
だって人口は減少するのですよ。
10人家族の世帯の電力使用量と、一人暮らしの世帯の電力使用量は同量ではありませんし。
そりゃあ、一人暮らしは10人家族の10分の1というように、電力使用量は人数で測れる数字ではありませんけれど、それでも平均して同量ではあるまいに。
家庭に限らず、企業など事業所、公共施設、交通機関など、多岐に渡ってコンパクト化する(あくまでも人口減少社会を前提にして)のです。
技術開発だって、現在よりも「省エネ」の機械が登場しても何ら不思議ではないのですから、またそれは、家庭にとっても企業にとっても、とにかく社会全体にとっても喜ばれる方向性です。
未来の人々が、薄型テレビを放り投げて、家具調テレビに殺到するとは思えません。その前に、電器店に、家具調テレビがありません。そして家具調テレビが「省エネタイプ」かもしれなくとも、私たちの国の総電力使用量について、電力不足などの喫緊の問題点はありません。
工場の電力確保は深刻な問題ですけれど、「事業主」とは昔から転ばぬ先の杖を確保してこそ「事業主」であり、電力いっぱい送ってくれないかなあ、と指をくわえて眺めている事業主は、国中探したってどこにもいません。
それなりの対処法を模索することでしょう。
それでこそ事業主。
それなのに、
なぜにそんなに必要以上の電力を作らなければならないのでしょうか。
なぜに「原発」なのでしょうか。
発電方法も原発に頼る以外に、再生可能エネルギーや、最近ではシェールガスによる火力発電の道も開けてきたというのに。
我が国の人口は、これから急激に減少するのですよ。
なんとも解せぬ、ああ解せぬ。
原発推進事業に携わる人々の雇用の問題はありますが、それ以外の私を含む雇用を求める人々の雇用問題は、どうでもいいということでしょうか。
また、社会の雇用問題は、原発事故の以前より現在に至るまで、継続しています。
それよりも、東北の除染はおろか復興は何処吹く風。
福島第一原発事故の確たる収束も未だ不透明。
それらを尻目に、使用済み核燃料は増え続けるのです。
やはり解せない。
使用済み核燃料は300年もの間、冷やすのですって。
私たちは、その冷えきった使用済み核燃料の最期を、見届けることもできません。
あ、やっとわかったわ!
安倍さんは責任感がお強いので、不老不死の薬を手に入れて、使用済み核燃料の安全を確認するおつもりなのね!
だから300年後に、面倒な手洗いの洗濯はもってのほかだ、という思惑に違いありませんっ。
なんてったって、政治家はクリーンであることが命、ですから。