5/12/2013

東横線渋谷駅迄




午後2時に慌てて家を出たのだった。誰かと待ち合わせていたわけではないが、娘との外出は、どう予定を組んだとしても時間が押してしまう。
家を出た瞬間に嫌な予感が沸き起こったが、午前中のどこまでも抜ける青空を灰色が占領し始めていたからだろうと、手袋を忘れたことにささやかな後悔を残しながら、建国記念の日の閑散として静まり返った住宅街を、足早に駅へと向かった。
途中、あちこちの庭先で寒椿の花が紅くじっと寒さに耐え、温室育ちの嫁入りしたての鉢植えの紫や黄のバンジーは、うな垂れて何事かと不安に怯えている。コートの袖口や襟元から容赦なく入り込む冷たい風に、逃げ場を失ってしまう。歩きながら、さほど暖かくもないがしっとりとした手触りの革の手袋を忘れたことを薄っすらと半分考えながら、あとの半分を娘との他愛ない会話でやり過ごし、私だけが近道と称する小洒落た今風の戸建てが並ぶ路地裏をくねくねと曲がって、踏切近くの緩い下り坂を下がりきった角に、通る度に観察している桜の大樹の道を覆う勢いで張り出した、まだまだ無愛想な表面が乾いた枝々を恨めしく仰いだ。踏切の、カン、カン、カン、カン、と鳴る警報音を全身に浴びながら育った桜である。
池上線から旗の台で大井町線、自由が丘で東横線に電車を乗り換えて、渋谷まで1時間弱。いつもであればiPhoneに目が釘付けになるところを車内の暖かさに任せ、ぼんやりと過ごす。が、ただぼんやりと車窓を眺めるには、休日の車内はこの時間帯にしては若干混み合っていた。私の悪癖がむずむずと疼く。車窓などのんびり眺めていられるものか。
のったりと走る三両編成の長閑な池上線。車内では向かい側の席に就学前の子供が二人。察するところ姉は幼稚園、弟は二、三歳ぐらいであろうか。母親はドアと座席との角で小型のベビーカーを押さえながら流れる景色に見入っている。ベビーカーに使い込んだキルティングの大きなマザーズバックと丸く膨らんだ複数のレジ袋が両側に掛けてあり、幾つもの肉のパックや菜ものや調味料の瓶が透けて見える。ベビーカーがいつ転倒するかと危なっかしい様子を凝視していると、母親は結婚前からそうしているような手つきでバランスを保っていた。母親の薄茶色のショートコートはよれていて、膝下までの茶色いブーツは合成皮革製の粗雑な作りであった。こちらに背を向け、くすんだ肌色の微かながらに右頬の曲線をこちらへ向け、面はドアの硝子と頑なに平行線を引く。姉は髪をポニーテールに結び、数本のピンで後れ毛を留めようとしていたが、既にバサバサと乱れている。弟は汚れた靴を履いた儘膝を曲げて席に座っている。二人ともぐにゃぐにゃと体を捻じって一時も静止しないから、三人用に仕切ってある座席で、姉弟だけで自由に退屈そうにしていた。駅が二つも過ぎた頃、徐に姉は斜め掛けのバッグからファストフード店のキッズバリューに付いてくるネコキャラクターのおもちゃの袋を取り出し、ママ開けていい?と尋ねた。母親は無視する。姉はまた同じように、ママ開けていい?と高い声を大きくしたが、またも母親は無視。後にこれが2度続き、3度目で眉間に軽く皺を寄せ鬱陶しい面持ちでチラと横を向き、棒読みの、自分で開けて、の答えが返った。姉は自分でビニール袋を開けようと小さな手を左右に引くが開く気配がない。ママ開けて、と3回ほど催促し、終いにはおもちゃの袋を持った腕を斜めに真っ直ぐ上げる。漸く母親は無言で弟の頭上を横切る形で渋々と手を伸ばし、袋を開けると無言で子供に渡した。ぶつぶつと独り言を話す弟の声は、電車が発するガタゴトの雑音に掻き消され、明瞭な語句を聞き取ることが出来ない。十数分の間に母親が子供達に眼差しを向けたのは、その2回限りである。他の乗客は見て見ぬふりをせざるを得ない。
車内には、特有の機械と足元から上るヒーターの熱い匂いが混ざり合い立ち込めていた。
乗り換えの旗の台駅大井町線プラットフォームにて、再び冷気に晒される。長い時間をかけて極めてシンプルに改装された駅構内は、例え夏でも寒々しく無機質な喪失感を平等に、且つ、公平に振り撒いている。私たちという大量生産の商品が、電車というベルトコンベアに乗せられるのを只管に待機している図でもある。もしこのプラットフォームで今生の別が有り得るならば、如何なる境遇にあろうとも、決して後世に美談として残り得ないだろうとまで至った寒さである。尤もあと50年も経てば、この駅構内も時代遅れだと批評を受けたり、齟齬を来たして逆にレトロだと親しまれたりするのであろう。
そのようなことを考えながら、電車の四角い前面が、徐々にこちらに迫ってくるのを見つめていた。
硬い表情の乗客に身を混ぜ、飛び込むかの如く電車に乗り込む。ほんわかと暖かい車内は、先ほどの池上線よりもやや空いていた。ほぼ座席が埋まっている状態だが、静まり返っている。単独行動の人々は無言。兎角人の心持とは実に勝手であり、機嫌の好い時はまるで御通夜の静寂の中に数十年ぶりの邂逅を求め、機嫌の悪い時には隣は何をする人ぞと、よしんば知人に遭遇したとしても、所作をあくまで自然に務めることに注意を払いながら、帽子の鍔を深く手前に眉の下まで引くのである。私が帽子の鍔を引かなかったことは、幸いであった。
私たちは旗の台駅の連絡通路にて軽い口論となり、娘には今すぐ家に引き返したくなければ暫くおとなしくして黙っていろ、と告げてあり、よって私の不安が軽減されていたのだった。兎角子供は、特に娘は口が軽い。思った瞬時に口から言葉が出る。発しようとする言葉を呑み込んで堪えることや、一呼吸置いて思慮深く話すことを知らぬ。そしてそれは、公私の場所を選ばず。
ふと周りを見渡すと、乗客は女性が半数以上を占める。皆さん思い思いの過ごし方を心得ていて、電車に乗り慣れていらっしゃる。スマホ、読書、居眠り。が、これから遊行にしては、様子がおかしい。バイトやパートへの出勤途中、あるいは帰宅途中ではあるまいか。祝日出勤は慣例化され、ましてや土日出勤可能であることを雇用条件に掲げる事業所は少なくない。いよいよ以て、娘が口を開かぬことは幸いであった。
自由が丘駅で長い上りエスカレーターから流れるように、東横線の特急電車に乗り継ぐ。車両の隅に対面式の座席が一つあり、シート背もたれと後頭部の上部が2つ並んだ向こう側に丁度並んで2人分が空席であり、迷わず娘と着席した。迷うべきだった。混み合う車内で、優先席でもない座席が空いている理由を求めるに、着席から1秒も要しない。半径1メートル四方に気まずい空気が漂う。
車内の乗客は横浜方面からの比較的若い年齢層と家族連れが入り混じる。あちこちで弾んだ声が聞こえ、渋谷方面に確かな未来図を描いているのである。
いま正に私の真向かいの窓側に座る若い女性は、背筋を伸ばし、これから訪れる彼女自身の未来に期待を寄せている。茶色に染めた肩まで辛うじて届くシャギーの髪、ナチュラルメイク、着こなしきれていないカジュアル系の服。彼女の部屋のクロゼットを開けたとしたら、ベージュ系とパステルカラーであろう。隣に座る若い男性は彼女へもたれ掛かり、深い眠りについていた。短めの髪、ブルーのシャツの襟元を、紺色のコンサバティブなショートコートから覗かせ、買ったばかりの素材が硬そうなジーンズ、黒い靴。長身の彼は、狭い車内での長い足の置き所にやや困惑を隠せずに眠るサラリーマン風、いや、どこから見てもサラリーマンである。
今更に席を立つわけにもいかぬ。席を立てば、更にその空気を乱すであろう。仕方なく、逆方向に流れる車窓の景色を眺めることにして、乗り物酔いを覚悟した。が、それでは本当に酔ってしまうから、景色の途中で広告を挟むかの如く彼女の顔をチラと見る。
彼女の口元は微笑み、窓から前方に向けられる大きな黒い瞳には、怖いほどの自信が満ち溢れている。終点渋谷駅までほんの数分ではあるが、何度見ても彼女の顔付きが変わることは無かった。
そして私は幻影を見た。
彼の左腕に絡んでいる、太くて長い頑丈な鎖。彼女の横に眠るは、俎上の魚か。
到着したプラットフォームでは、夥しい人波に呑まれ、鉄道マニアによるカメラや携帯のシャッター音を聴きながら、娘と逸れてしまわぬように改札口へと向かった。
折しもその日はバレンタインデーが迫る休日。渋谷駅周辺の特設チョコレート売り場では、女性たちの腕が、ジャラジャラと鳴り響いていた。
思えばこれが私にとっての「地上での最期の東急東横線渋谷駅」だった。現在の渋谷駅は地下5階に潜り、東京メトロ副都心線と繋がる。


May.11.2013








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